西方見聞録...マルコ

 

 

幸せのムシピン-花火の思い出- - 2012年07月28日(土)




 さてこの日は毎年恒例のわが町商工会の夏祭り。数年前からこの夏祭りのフィナーレの花火を見たい別行動の中学生長女1号さんをゆるく監視するためにおKちゃんを連れて、最後の花火の部分までいることに(そんでそのとき板友にしてリアル友のノロさんから旅行情報いただいたりとか)してたんですが、なんと今年は小4次女おKちゃんまで「お友達と花火見るの〜」というので、まあああ、どうしましょう。

 いつも家で一人で留守番のあめでお氏にご出馬願って、夫婦2人でそれぞれ友だちと花火見る2人の娘をゆるく監視ですよ。

 しかしおKちゃん友だちとの約束がうまく出来なかったとかで結局私たちと花火を見たのでした。(自立への試行錯誤は続くね)


 で、久しぶりに超出不精のあめでおさんと花火見学したんですが、いろいろ青春の思い出がよみがえりますな〜、あめでおさんよ。土浦の花火大会に研究室総勢10名くらいで出かけて車ごとはぐれて、一緒に花火見れなかったこととか、稲田堤在住時代、調布の花火が古い文化住宅を揺らすような勢いで打ち上げられるので、近くの小高い丘にある子の神社の石段の中腹で、まだ幼児の1号さんとあめでおさんと3人で花火見たこととか(おKちゃんは天使時代なのでたぶんそこらの中空を漂っていたんではないかと)。

 それぞれの日々、それぞれに苦悩はあり、お互いへの不満なんてのもあったんだろうけど、花火の思い出は、幸せしか呼び起こさない。花火を見るときそのまばゆい光が、星や地上の出来事を不可視にするように、その時代の苦悩も不安も闇の中に沈め、その時代の幸せな気分だけが虫ピンでつまみ上げられてコルクボードに展示されてるように私たちの記憶によみがえる。

 もっと年をとったら、この日、直に座った会場の南中学のアスファルトでしりが焼けそうだったなんていうマイナスの記憶はきれいに洗い流されて、まだ当社比で若いあめでおさんの横顔しか思い出されないんだろうな,と思いつつ夜空に上がる花火を見た。

 ちなみに花火の前は町民の人気の大ビンゴゲームでおKさんの友だちのお兄ちゃん(中学生)とビンゴゲームにおいて最初は「豪華商品」を狙ってた物欲がお菓子でもいいから,うまか棒一本でいいからくれ!と欲望が劣化しながら先鋭化するという現象について語り合いました。M君また語ろうビンゴゲームにおける物欲の可視化について!

 


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