西方見聞録...マルコ

 

 

サラの鍵 個別を見ること、出会いがもたらすもの - 2012年03月14日(水)

 サラの鍵を観てきました。







 ちょっとネタバレを含みますので、まだ見てなくて今後観るおつもりの方は他のページにGo!









 さて、本作はドイツ占領下のフランスで、フランス政府と官憲によるユダヤ人の迫害という「埋もれた歴史」を発掘する現代のジャーナリスト、ジュリアがその取材の過程で[サラ]という60年前のあの時代を駆け抜けた一人の少女と出会うの物語です。

 悲しく後ろめたい過去を知り、過去と向き合うことの難しさ、しかしそれでもサラの経験した<真実>を知り、なかったことにせず、覚えて、未来へ語り継いでいくことの尊さが強く発信されていました。
 私が心に残った点を<個別を見る><出会いがもたらすもの>という2点に絞って以下にまとめてみたいと思います。

<個別を見る>
 作中のヴェルディブ事件の記録を編纂しているホロコースト記念館の老人が語る「わたしは統計の数字でしかなかった犠牲者に顔と名前を与えている(ちょっとうろ覚え)」という言葉が私には鍵でした。

 サラが収容所で看守に「ジャック、私はサラ、サラ・スタジンスキー」と名乗った直後、看守は思わぬ行動をとります。その場面で私は昔聞いた「塊で○○人と思っていると差別が起きる。具体的にその人と出会って、名前と顔を知って、○○人じゃなくて○×さんという個人と出会うことが大事。そういう出会いの場を作ってきたのがこの15年の活動」という、神戸の震災以来外国人支援をしている市民活動家の方の言葉を鮮烈に思い出しました、
、、って市民活動家ってFMわいわいの日々野さんですな。もう名前言っちゃえ。とにかく、震災直後から多言語放送で地域の外国人住民をはじめとするマイノリティの方とその他の住民の出会いの場を作り続けてきた日々野さんの言葉を思い出しました。
 ユダヤ人という塊で収容所の子どもたちを認識していた看守がサラ・スタジンスキーという名の1人の少女に出会うことで、「正気に返る」様子が描かれます。

 [サラ]の名乗りのシーンは他にもいくつか印象的な場面がありました。多様なカテゴリーに属しながら、しかしそれぞれの顔と名前を持つ人との鮮烈な出会いをどれだけ経験できるか、それがあるカテゴリーの人々に対して差別的な視線を持つ人に変容のきっかけを与えるのではないかと思いました。

<出会いがもたらすもの> 
 ホロコーストの犠牲者はみな自分や家族の心配をしつつ、その道の先に何があるのかうすうす恐れつつも、強制収容所への列に並び、やがて悲劇を迎えました。しかし、サラは強制収容所に向かう列の中で、自分が機転を効かしたつもりで納戸に隠してきてしまった弟を救出したい、その一心で行動します。そして弟の命を救いたいという彼女の祈りと行動が「看守」、「デュフォール夫妻」や「テザック家の祖父」といった人々と鮮烈な個別の出会いを果たさせ、彼らの運命を変え、サラの運命も変えます。
 そういったサラの埋もれた歴史を、時に、周囲と不協和音を響かせつつも発掘するジュリアもまたサラの軌跡を追う中でサラと出会った人々と出会っていきます。そうした出会いが「ユダヤ人」あるいは「戦争協力者」に対するマスターナラティブ(全体社会の支配的文化で語られるストーリー)やモデルストーリー(あるコミュニティで流通するストーリー)を超えたところにある個別の生に触れることを可能にします。

 どうしてジュリアはフランス人でなく、アメリカ人として造形されたのか、とずっと思ってたのですが、おそらく数字だけ残して埋もれようとする歴史と向き合うのはその歴史の当事者性の高い人だけでなく、すべての人に求められる営みだから、なのかな、と今は思っています。

 数字だけにされようとする歴史は、本当にいたるところにあり、私たちは数字ではなく、そこに生きた人々と出会い、その出会いを後世に伝える方法を考えなくてはいけない局面に立っているのだと感じました。

 サラの鍵は見る前も見たあともいろんなヒトと感想を語り合っています。
私はこの映画をみとこう!と思う動機になったブログを最後に紹介しておきます。→ワッタ☆ガッタリ


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