西方見聞録...マルコ

 

 

ベルリン1945 - 2012年03月23日(金)

 この日はおとなりの夕焼け番長のRちゃんが家の鍵を忘れて家に入れなかったので我が家でお昼ご飯から夜まで滞在してました。その間おKさんは学童のお別れパーティだったり体操教室に出たりしたので、もうひとり小学生女児のご近所かぎっ子同盟のMちゃんにも家にきてもらって小学生女児シェルターみたいに過ごした1日でした。

 まあそんな平和な一日なんですが、今日の日記は「ベルリン1945」の感想です。

 前回このベルリン三部作の第2部ベルリン1933の感想を書きましたが、これはその後日譚にあたります。

 前作ではナチスがいかに勢力を伸ばしていくのか、労働者1家の次男坊ハンスの眼を通して描かれていましたが、1945ではナチス崩壊前夜から崩壊後にかけて、激しい空襲とソ連軍の侵攻を背景にナチスへの幻想に敗れたベルリンで、人々がいかにナチスの支配した12年の捉えるのか、ハンスの姪エンネの眼を通して描かれます。あるものはナチスを信じる事を選び、あるものはナチスに抵抗したがゆえに辛酸をなめ、まったく異なる12年間をすごした後の、解放(?)後のベルリンでの人々の議論は戦争の被害と加害、そこへの個人レベルでの関与と責任をどう捉えるべきか、もう全然収拾つかない状態で、これまた現代の日本に通じるたくさんの言葉が語られていました。

 とにかく1945年の激しい空襲とソ連軍の支配下でベルリン市民は筆舌に尽くしがたい苦難をなめますが「この火はドイツが外国に持ち出した火が帰ってきたものなんだ」というやりきれない哀しみ。

 そしてナチスを信奉していた妹と強制収容所から帰還した兄の激論(pp.558〜561)が描かれます。「私たちがナチスを信じたのは間抜けだった、そんなひどいことをしていたとは知らなかった」という妹に兄は「お前達がささやかな得をして喜んでいた頃、他のところではとんでもないことが起こっていた。お前達は知ることが出来た。ただ知ろうとしなかった」と突き放します。そこにドイツ軍兵士として戦地で戦い、帰還した年弱の弟が「学校でなにを叩き込まれたのかわかっているのか?親が子どもに真実を言えずにおびえていたのを知っているのか」と突き放す兄に反論します。そこへ、12年間を生き延びたユダヤ人の登場人物がユダヤの黄色い星を胸に当て割って入ります。「真実を見たいと思えば見えたはずよ、毎日ね。この黄色は簡単に見落とせる色じゃないわ」と。

 ナチスがやばいかどうか、ユダヤ人を同じ人間とみなしていたのであれば1933年の時点でわかったはずだ、ということが強烈に示されます。

 ある人々の人権を制約して当然と考えているかどうかというのは、その政府が歴史的批判に耐えられるかどうかのひとつの試金石になる、と思いながら読みました。今の日本におけるユダヤ人は誰でしょう?教職員等、組合活動をしている人々?国際的に認められている民族教育の権利を文科省と大阪府と市に否定された在日コリアン?

 ベルリン1919、にも行っちゃおうと思います。

 ラストのニュルンベルグ裁判時のゲーリングの言葉を引用して筆を置きます。

「指導者の命令に従うように仕向けるのはいつでも可能だ。それは至極簡単なことだ。攻撃されたと国民に伝え、平和主義者のことを愛国心に欠けると非難し、平和主義者が国を危うくしていると主張すれば事はすむ。この方法はどんな国でも有効だ」
  


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