西方見聞録...マルコ

 

 

浮遊・定着、人と場所と(書評「停電の夜に」) - 2011年09月25日(日)

 「停電の夜に」(ジュンパ・ラヒリ)を読みました。

 「その名にちなんで」の著者ラヒリのデビュー作となった9編の物語からなる短編集ですな。

 アメリカで生活を築いていく若いインド系の夫婦の物語が多いのですが、夫婦のすれ違いが醸す浮遊感はその土地に縁を結べない移民やその2世世代の寄る辺なさに通じ、夫婦が絆を確かにしていく姿はその土地に根を生やしていく姿に通じます。

 HOME(家庭)を確立することがHOME TOWN(故郷)を得る事に通じるといったらいいのか。

(ただ親になれば自動的にHOMEが確立するわけではないようで。第3章の「病気の通訳」に登場するダス夫妻みたいに「一番上の兄と姉のような(中略)扶養責任を引き受けた日常があるとは考えにくい」浮遊したまま寄る辺無いまま父と母の役割に苦しむ夫婦も本作には登場します。またエスニックコミュニティが独身者に対しては家族の代替機能を果たそうと手を差し出す場面も描かれます)

 なんだか腹をくくって妻であったり夫であろうとするか、その居住地域のメンバーとしてやっていこうという静かな自覚のその前や後ろで、腹をくくったり、腹をくくらない人々の群像劇と言ったらいいのか。(はじめのほうは腹をくくらない人の浮遊感が主題なのかな〜と思って読んでいたのですが、ラストの短編「三度目で最後の大陸」の主人公夫婦は103歳のアメリカ人老婦人の承認によって夫婦の絆を結び、大地に根を生やす物語でした。あとラストから2番目の「ビビ・ハルダーの治療」はアメリカの出てこないインドの物語ですがビビがシングルマザーとしてやっていく覚悟とともに病から抜け出す「腹をくくる物語」でした。)

 移民2世である著者がアメリカ、エスニックコミュニティそして、はるかなインドと可動性の、そして比較的周縁からの視点を持つことで移民の国アメリカもインドもミクロな界隈ではあるけれど非常に立体的に描き出している、そういう1冊と思いました。

 追記:インドのプレモダンな感じとアメリカのポストモダンが1世と2世のあり方の違いに描かれてもいました。束縛は多いのにプレモダンな人々は場所を得やすく、自由だけど浮遊しがちなポストモダンな生き方の対比といったらいいのでしょうか。自由と引き換えに引き受けなくてはならない寄る辺なさと孤独。束縛と引き換えに獲得する居場所。

 自由で暖かい居場所も、現実にはあるとは思うけど。


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