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書評 伊藤比呂美著 「女の絶望」 - 2011年09月17日(土) は〜なんか心の余裕を奪ってた原稿書きが終わったので今日はおKさんの定期的図書館通いの日だったんですが、自分用図書をいくつか借りてきました。イロイロ名作系も借りたんですが、やっぱイッキ読みしちゃうのは比呂美さん本ってところに私の高尚でない感じが現れます。が、それが人間、マルコなので致し方ない。 で、この『女の絶望』で伊藤比呂美が西日本新聞の身の上相談で受けた相談をテーマ的にまとめつつ「ふうふせいかつ」「こうねんき」「しっと」など12のテーマについて、こうねちこく、下町江戸弁で語っておられます。 「おなか、ほっぺ、おしり」シリーズで乳幼児育児を、「伊藤ふきげん製作所」で思春期育児をセキララに私たちにガイドしてきた氏が子どもとはなれて50代以降の女の前に広がる沃野なんだか荒野なんだかよくわからない原野の処世術を語るんですが、これが桐野夏生の魂萌えの帯の宣伝じゃないですが「妻でもなく母でもなくむき出しの女」なかんじ。 新聞の身の上相談は相談事がある人が登場する場なので、相談事がない、あるいはあんまり、こう、業が深くないサイレントマジョリティから見るといやそんなそこまでは、、とひるむ話も多々ありましたが、でも核の部分は多くの人がそっと内包している部分とも感じました。 そしてこの本で幾度も語られる「自分は自分(ひとはひと)」のキメフレーズはまさに50代以降の処世術としては大事かも。 女枠あるいは母枠という立場や世の中から押し付けられた諸々の役割だったり偏見だったり規範だったり、そういう『枠』から降りて、ゆっくりと自分に帰っていくのが老化だとしたらそれはなかなか解放されることである。まあその解放にいたるまで解放されない諸々の事柄との戦いが設定されているわけだけど、20代30代あるいは40代の子育て枠に縛られた母達、あるいは子育てをしない弁明を迫られ続ける非子育て枠の女達の戦いよりははるかに多様性を帯びたバトルフィールドが50代以降の女の前にはあるようだ。 楽しみである。 ...
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