看守としてのワタクシ - 2010年02月19日(金) 「マンデラの名もなき看守」を観た。 インビクタス鑑賞記で書いた「見る白人」「見られるアフリカ系」の構図の中の作品で、アパルトヘイトを描く難しさとか、マンデラでなくても他のアフリカ系指導者でもこの作品は成り立つ(それほどマンデラは感銘を投げかけるような言動を作中してないけど看守はアパルトヘイトの非道に目覚めている)とか、いろいろ不満もある。いとなんちゃんが言うように「南アではみんな怒ってる」ていうのも、まあわかる。あくまで人間ドラマは白人社会の中で起こり、マンデラさえも「映画を売るための記号」でしかないということに愕然とする。 人間ドラマを演じるのは「白人」とくくるけど、少し低い社会階層に属する人が主人公で、「黒人びいき」とののしられても、看守を辞めて生きられないというポイントがこの映画のミソか。「遠い夜明け」や「ワールドアパート」の主人公達のように命をかけて、英雄的に国を去れない人々がアパルトヘイトに疑問を持つことの難しさが描かれている。 「黒人びいき」はアパルトヘイトが瓦解していく中で「重要人物」へと立場がシフトしていく。作中「告訴されなかった唯一の看守」ということばが出てくるけど、他の看守に何が起こったのかな? 矛盾に気づきながら、でも逃げることはかなわずにそこでそれを見守るしかできない主人公。彼はアパルトヘイトに嫌悪感を持ちながら積極的には何もしない。 とてもよくある話ではある。例えば、ナチスの大量虐殺に、何かの拍子にわれに返ったナチス親衛隊はいなかったのか。おかしいと思いながら戦争に突入していくしかなかった父母や祖父母。そして WTO体制の中でアフリカの貧困が生み出されるという構図を、認識しながら、フェアトレードコーヒーを買うようなささやかなことでしか抵抗できない私たち。 ...
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