お葬式 - 2009年07月03日(金) 伊丹十三がその昔お葬式という映画を作りましたが、核家族で、長寿な現在、お葬式に積極的に取り組む人材の高齢化と局部化ってのは確かにある話でお葬式の執行部の心得ってのはアクセスのしにくいものだと思います。まあそこで葬儀社さんの活躍があるわけですが。 わたしなんて実家でいっぱい葬式見て来ましたが、いかんせん、孫ひ孫の立場だったので苦労は全部上の世代に押し付けていとこと遊ぶことに余念がなかったので、お葬式の何たるかをまったくわかっていません。その「場」に適した行動をとるのが難しいポストモダンな私たちなわけです(意味不明)。 で、我が町内会の班で天寿を全うされた班員様が天に召されました。今年我が家は町内会の班長さんです。班長さんは自動的に葬儀実行委員長に就任します。じーざす!っつうかOh My Budda! でも今はわが町にも葬儀社があります。よろしく葬儀社。でも班長は適当な人員2,3名とともに通夜、葬式を手伝いに行き、おもに受付、会計の総指揮を引き受けるということになっています。んで、あめでおさんが一応両日とも講義のない時間帯だったので、現場に行くことになったんですが、お手伝いの確保がマルコの太い肩にのしかかります。 とにかく人死にが出たことを告知し、お手伝いをお願いに班内を歩くとさまざまな学びがあります。班の勢力関係を地面に枝で書いてくれて「ここで死人が出たら、ここの家々からお手伝いをお願いするのが筋、この古い農家の一群の場合は班長はお飾りでよし。こっちの衆らはこっちの衆らが助勢に来るのが筋」と班内(わずか20数件)の政治力学を筋に沿って解説してくれるおばさん。朝、子どもを学校に送り出す時間帯にわざわざ電話かけてきて「昔は葬儀社なんてものもなく、班長がすべてを仕切った。お手伝いが2人?冗談じゃない、会計だけでも3人は必要で計算が合うまでに何日もかかる」なんて恐ろしい話を延々と教えてくれるおじいさんもいました。 その昔アンソロポロジストとして日本の農村で社会調査してた時代にそういうホンネトークを是非聞きたかったものですが(当時は「何って何も特別なことはねえ、坊さん来て葬式するだけだ」なんてことしか語ろうとしなかったじゃねえか>古老なみなさん!っていや場所が違うから違う古老だけどさ)、当事者になるとほんとにムラの内幕が惜しげもなく開示され、若いモンを教育せねば!と古老の魂が燃えるようです。 しかし、クダをまくわりに手伝ってくれる人が少ない!子ども会人脈でなんとか御通夜人員は確保したのですが、役に立つ年代の人はみんな働いていて平日昼間のお葬式に人員を割ける家というのはほとんど皆無(私もその日は遠方講義日)。そんな中、50代の女性がパートを休んで手伝っていただけることになり、お葬式はあめでおさんとその方の2名体制で何とかしのぎました。 手伝いを断られ続けるとほんとにへこんできてしまって、気風よく手伝いを引き受けてくださった方には「ありがとうございます!みなさんのお葬式は必ず手伝いに行きます!」とか縁起でもないことを口走ってしまいそうになりました。 我が班の班員の皆様のご健勝と長寿をしゃれにならないくらいマジで班長はお祈りしております、ホント。 ...
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