階段の途中 グラントリノ - 2009年06月24日(水) えーっとまだいろいろこの先もありますが、D論関連がとりあえず一山越えたのでしばらくのんびりしています。 そんなワタクシの山を越えたら食べようと思って、山越えのエンジンにしてたニンジンたちを貪り食うの図をちょっとまとめとこうと思います。 んで、この日は梅田ピカデリーにグラントリノを観に参上しました。 どうでもいいですが、この梅田のピカデリー界隈って結婚関連行事で両親と来阪して宿泊した東急系ホテルの近くですな。関西移転以来この辺来るのは初めてなんですが、あ〜ここが大阪初体験だった私の上陸の地だよ、となんか懐かしかったです。 で、グラントリノ。イーストウッド爺さんがラオス難民のモン族に注目して作った映画です。爺さんとアジア、わりとキーワードですね。ダーティハリーはこのような視線をアジアに向けていたのか、と興味深いです。 以下、ネタばれ注意です。未見で本作を見るつもりがある人はこの先は読まないことをお勧めします。あと未見の人にはわかりにくい部分もあると思います。お許し下さい。 で、ポーランド移民のイーストウッド爺さんは朝鮮戦争に従軍したりしながらフォードの工場で働いて子ども二人を育てあげ、今は現役引退して奥さんに先立たれちゃった独居爺さんなわけですね。モノつくり大国だった古きよきアメリカを支えて繁栄させてきたのは自分たちだ!という自負があります。じーさんの仲よしの老人達はみんなそう言う白い移民の手に職系です。 そんな爺さんの隣近所にラオス難民のモン族の皆様が移り住んできてコミュニティを作ります。で、最初は葛藤もあるけど爺さんは慎ましく「古きよき」モンソサエティの人々と心を通わせるようになる。 対照的に爺さんの息子たちが、「モノを作らずお金を動かす系」の現在の主流アメリカ市民として出てきます。しかし全然爺さんと話が合いません。 爺さんは移民としてやってきてアメリカ社会の梯子を登るべく苦闘した自分たちこそ、アメリカだ、この自分たちのがんばってきた人生のバトンを渡すべきは息子達、階段の上にいるやつらじゃない、今、階段を苦労して登ろうとしているモン族の青年のタオやスウなんだ。と主張しておられます。なるほど。 後発の白い移民や日系、韓国系、ベトナム等アセアン諸国系がそれなりにアメリカ社会の社会上昇の階段を登っていくのに、アフリカ系、そしてモン族のみなさんはすごく階段を登りにくい存在であることが劇中示されます。モン族はベトナム戦争の時期ラオス戦線でアメリカの特殊部隊に動員された山岳民族なんですが、本国においても就学経験を持つ人々はごく、わずかでインドシナにおけるアメリカの敗戦によって居場所を失った彼らは突然アメリカ社会移転させられるのですが、アメリカでの適応は本当に苦難の連続だったようです。 ベトナム難民がそれなりに社会適応を果たしていく中、なぜ時を同じくして移動した同じような顔のモン族がこんなに上手く行かないのか。 移民の持ってる社会的バックグラウンドやホスト社会の理解の有無っていうのが鍵になるのかな、とか思いながら見ました。 で、モン移民の中にもストリートギャングになっちゃってる「不良」グループがいてその「劣化した」モン族がよきモン族タオやスウの社会適応を決定的に足を引っ張る存在として出てきます。この「劣化した」モン族への爺さんの激しい制裁はさすがダーティハリーだぜ、って感じでした。まあ移民社会の光と影といえばいいのか。古きよき心を持ち勤勉な移民は歓迎だけどストリートギャングになる不心得ものは許さないぜ、という爺さんのメッセージはよくわかりました。でも移民が不良になっちゃう前にあるいは不良になっちゃっても長期刑で社会から排除するんじゃない「生きる道」ってのはないのかね、と思いました。 しかしアメリカ社会でトラブルに巻き込まれないために「車」がかなり鍵になるってことが何度も描かれます。でも私がタオだったらグラントリノよりあの爺さんが日常的に使ってるトラックのほうが実用的でトラブルのタネにもなりにくいのでありがたいかな、とチラッと思いました。が、グラントリノは爺さんの「がんばってきた人生のバトン」の象徴なのでまあ、物語的にはあのラストでいいのでしょう。 爺さんの戦争体験観に関しては、朝鮮戦争を朝鮮半島の人々の視点で捉えた「トンマッコルにようこそ」と絡めてあとで言及するかもしれません。 長くなっちゃったので本日はこれまで。 ...
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