沈黙を破る - 2009年06月03日(水) ミクシに書いたレビューの再録です。ごめんなすって。 年度: 2009 国: 日本 公開日: 2009/5/2 パレスチナ・イスラエル―“占領・侵略”の本質を重層的に描く 今日の午後、ぽかっと時間が空いたのでナナゲイにダッシュしてみてきた。 村上春樹の「卵と壁」スピーチについて考えていたとき、イスラエルのシステム(壁)の中の個人(卵)はどうしているのか、と大変興味を持っていたので、この映画をみていろいろと「そうだったのか」と腑に落ちる部分があった。 まず冒頭。2002年4月パレスチナ難民キャンプ「バラータ」が自爆テロをきっかけにイスラエル軍に包囲され攻撃に晒されるところから始まる。 (監督は封鎖されたキャンプ内から攻撃を描くの。これはすごい。)バラータの閉じ込められ、理不尽に晒された日々、しかし子どもや人々はそこでもなんとか生きていく様子がなんと「戦場のピアニスト」で描かれたポーランドのゲットー内のユダヤ人の暮らしと相似であることか。 そしてバラータでラジオを聞く人々に伝わるジェニン難民キャンプの悲劇。ここでカメラは悲劇の2日後のジェニン映像に切り替わる。カメラはジェニン被害を全体ではなく、個々の人々に焦点を合わせて迫っていくのでパレスチナの悲劇が顔の見える悲劇として私たちに伝わってくる。 その後舞台はイスラエル国内に移り、元兵士・将校達が占領地でいかに自分が非人間的になって行ったか、そしてイスラエル国内がその非人間的な占領と如何に断絶して「占領の理不尽から目をそらして」人道的な国と言う自画像を抱いて生活しているか、語られる。 元・兵士・将校達がイスラエル軍は世界1道徳的な軍隊、と信じて入隊し、そして占領地の現実とのギャップに苦しみながら生きるためにシステムに取り込まれていった過程を告白していくのだけど、個人がシステムに取り込まれていく過程がものすごいリアル。 そしてその告白に対するイスラエル国内のさまざまな反応も興味深い。文部科学省の公聴会に告白する元兵士達が呼ばれて「子どもの教育と占領の体験」について意見を聞かれるんだけどそのとき国の政策立案・施行者レベルの人々がまさにシステムに取り込まれた状況から「パレスチナの子どもがかわいそうだっていうならユダヤの子どもはどうなるんだ」と叫ぶ。その声もまたイスラエルのひとつの真実なのだろう。 また占領地での暴力を告白をした元兵士の息子に共感できない両親へのインタビューも出色。小学校教諭の母の一見人道的な語りに対し、元兵士の息子がコメントをする(息子は現場にいないであとでビデオをチェックしてコメントする)。その息子のコメントがすごく心に残った。「占領地の不幸な兵士と幸せなイスラエルの国内は断絶してるのではなくて、あなたたちの拳として私たちはまさに暴力をになったのだ」 そう、わたしたちは拳を持ってる。拳の痛みも拳の先の痛みも拳が守ろうとしている「私たち」と連続していることにここではじめてきづく。 またこの兵士の告白を支援し、顧問を務めているヒトの背景が後半で明かされるのだけど、システムに、ここでは憎しみの連鎖に取り込まれないでいることに、それがどれほど大変かと思うと涙が出た。 最後は5年後のジェニンとバラータが登場し、5年前の映像に残ってる人々と再会し、5年の歳月を振り返る。5年はある者にはより過酷で、ある者は生きる道を見つける時間でもあった。 そしてまだ、イスラエルとパレスチナは兵士と民衆の痛みを抱えたまま旅を続けている。私たちもアメリカのパレスチナーイスラエル政策を支持する政府の元でそこに関わり続けている。 ...
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