西方見聞録...マルコ

 

 

卵と壁 - 2009年02月26日(木)

えーっとかなり多くの人がこの二つの壊れやすいものと硬いものについて語っていて、いまさらマルコなんぞに何かしらのオリジナリティのあることが語れるのか、はなはだ疑問ではありますが卵と壁です。

私は件の村上春樹スピーチをここで読みました。まだ全文が伝わりにくい状態の中で貼り合わせてよんでたんですが、これをイスラエルに乗り込んでって、しゃべったか!春樹!と、かなり驚きました。そしたら昨日かな、斉藤美奈子師匠@文芸時評が総論の美しさと、卵のしょうもなさ(が書けていない春樹文学)について物申しておられましたな。

そのほか様々な人が様々に物申して居られて、多くの人に何事か語りたい気持ちにさせるそういう喚起力のあるメッセージであることは確かなようです。

私が喚起されたイメージの最たる核心は「壁と卵の連続性」でしょうか。

途中挿入される春樹少年の父の物語は、まさに卵(人間)が壁(システム)になり、そして卵に戻る様子が描かれます。卵であったはずの父が戦争中、中国で壁として多くの卵をつぶし、壁として隣にいた仲間がつぶれた瞬間、卵になったのを目撃し、戦後また1つの卵に戻った父が壁として在った時代に壊し、壊された卵たちのために祈る。
 
また卵(人間)が壁(システム)を作るのだということも指摘されます。最初卵は自分たちの脆弱さを守るために壁を作るのに壁は外の卵や時には中の卵も壊し始める。しかしその壁を選びその方向性を与え続けるのは紛れもなく卵なのだ、という連続性。そして、それゆえの壁の暴力を鎮めることができるのもまた卵なのだという可動性。

私たちは、911郵政民営化選挙で小泉自民に力強くGoサインを出した卵であり、その結果、イラクでの大量の卵の破壊に手を貸し、破壊をエンパワーするという、暴力的な壁作りと壁の暴力を容認しました。つまり壁と卵の連続性と可動性を最近味わったばかりです。

イスラエルとパレスチナを巡る状況はあまりに複雑で壁を語り始めたらバルフォア宣言とかサイクス=ピコ条約とか、フサイン・マクマホン宣言とか壁が壁を塗り固めるそのあたりから語りたくなるのが人情ですが、ひとまず卵と壁なのです。卵は壁を作り、あるとき壁にもなる。卵を壊さない壁を作るのが卵のつとめ、卵に青い卵も白い卵もなく、あるのは壊れてしまったらもとにもどらない大事な卵ばかりだということです。

卵と壁のたとえの秀逸さはこの敵と味方ではなく、中立的な無色さで人とシステムの話として卵をつぶすことの痛ましさが誰にでも、どちらの陣営にも、イメージされうるというところでしょうか。

その無色さが春樹文学の普遍性でもあり、美奈子師匠の言う物足りなさでもあるのかもしれません。

参考文献
NEOさんとAkiko(ミクシ的にはあきこ)さんのミクシ日記
内田君のブログhttp://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php
内田君への批判ブログhttp://angel.ap.teacup.com/applet/unspiritualized/20090225/archive
斉藤美奈子さんの文芸時評@朝日新聞(朝刊2009年2月25日)
ノロさんの日記(アラブ側からの感想とか)
http://blog.goo.ne.jp/goeswalkabout/e/6593942bf25a91093bacd2c43228936d

関連文献 
イスラエル側の反応このTalk Back 題名が見えるけど内容が聞こえません。どうしたら聞こえるかな。聞きたいな。Akikoさんミクシ日記のPさんによるコメントから
http://www.haaretz.com/hasen/pages/ShArtStEngPE.jhtml?itemNo=1064909&contrassID=2&subContrassID=11&title=%27Always%20on%20the%20side%20of%20the%20egg%20%27&dyn_server=172.20.5.5



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