西方見聞録...マルコ

 

 

流通する言説 弾圧される言説 - 2006年01月24日(火)

 掲示板のほうでちらほらと話題になってましたが国分寺で起きた東京都による学問の自由への侵害に関する事件に対する抗議サイトが女性学の研究者を中心に立ち上げられました。

 バックラッシュの動きはあちこちで耳にする機会が増えています。でも自民党のPTのページが選挙期間中はリンクをはずしたりとか、バッシングのもとになった『誤った教育実践例』(ジェンダーフリー教育のために林間学校で男女同室にしている等)が事実無根の「勇み足」だったりとかとても怪しい動きだと思います。

 その怪しい動きがいま行政やマスコミでどんどん力を得ていることに不気味さを感じずにはいられません。

 今回の抗議文の草稿が若桑みどり氏を中心にGender Studies のML上で纏め上げられていく作業を傍らから見ながら、声をあげなくてはならない時代の曲がり角に立っているのだ、としみじみと感じています。

 抗議文のなかのジェンダー理論についての説明は簡潔でなんだかとても参考になりました。全体的にいい文章だなあ。

 抗議サイトでは署名も受け付けています。締め切りが1月26日とちょっと早めですが、マルコもこっそり署名しようと思います。


 ========引用==============

ジェンダーは、もっとも簡潔に「性別に関わる差別と権力関係」と定義することができる。したがって「ジェンダー・フリー」という観念は、「性別に関わる差別と権力関係」による、「社会的、身体的、精神的束縛から自由になること」という意味に理解される。

 したがって、それは「女らしさ」や「男らしさ」という個人の性格や人格にまで介入するものではない。まして、喧伝されているように、「男らしさ」や「女らしさ」を「否定」し、人間を「中性化」するものでは断じてない。人格は個人の権利であり、人間にとっての自由そのものである。そしてまさにそのゆえに、「女らしさ」や「男らしさ」は、外から押付けられてはならないものである。

 しかしながら、これまで慣習的な性差別が「男らしさ」「女らしさ」の名のもとに行われてきたことも事実である。ジェンダー理論は、まさしく、そうした自然らしさのかげに隠れた権力関係のメカニズムを明らかにし、外から押し付けられた規範から、すべての人を解放することをめざすものである。

 「すべての人間が、差別されず、平等に、自分らしく生きること」に異議を唱える者はいないだろう。ジェンダー理論はそれを実現することを目指す。その目的を共有できるのであれば、目的を達成するためにはどうすべきかについて、社会のみなが、行政をもふくめて自由に論議し、理解を深めあうべきである。

 それにもかかわらず、東京都は、議論を深めあうどころか、一面的に「ジェンダー・フリー」という「ことば」を諸悪の根源として悪魔化し、ジェンダー・フリー教育への無理解と誤解をもとに、まさに学問としてのジェンダー理論の研究および研究者を弾圧したのである。このことが学問と思想の自由に与える脅威は甚大である。

===============以上引用=========








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