西方見聞録...マルコ

 

 

笑顔の記憶 - 2005年11月21日(月)

おKさん3歳7ヶ月児、現在歯科通院中である。
町の保健センターの歯科検診を1ヵ月半後に控え、なんかやばそうな歯を先手を打って治してもらっとこうという腹である。

診断の結果、軽度のものばかりだがなんと5本も、虫歯にやられてしまっているという。

乳児の虫歯は母の責任、なんて嫌なこという人もいるがおKさんの場合は明らかに本人の強欲の結末。とマルコは思っていても世間は認めてくれまい。

しかし歯医者さんは大変優しく、「子どもの歯はやわらかいので虫歯になりやすいんですよ。基本的に虫歯は虫歯菌のせいです。」との暖かいご託宣。ありがとう、ありがとう。

優しい歯医者さんはおKさんにも大変優しく「おくちあけられる?あけられるか。かしこいな〜おくちあけてくれるKちゃんを先生は大好きや。」と、とにかく「先生はKちゃんを大好きや」を連呼し、「イタイ」という言葉を極力排除し「こそばい」という言葉に置き換え「Kちゃん、こそばゆないか?」とききながら治療してくれる。

おKさんも「おKさんのことを大好きな先生」にあいに週に1辺月曜の朝、せっせと歯医者通いに精を出しているのである。とにかくおKさんに「歯医者さんは優しい先生に会えるいいところ」という初期認識が形成されたのはまことにめでたい。

それにしても私の住む古い町は近代的な優しいな先生と前近代的な居丈高な先生が混在している町である。そして優しいさー居丈高さは、医者としての腕の上手いー下手と密接に結びついている場合が多い。

この町で腕のいい優しい先生の見分けはとても簡単にできる。町の老人が大挙して押しかけている混雑医者は腕のいい優しい医者であることが多い。医者通いのプロは名医・良医を見分ける目と情報伝達のネットワークを持っているに違いない。


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