マイノリティとしていきる覚悟 - 2005年09月13日(火) ところで自民圧勝でございます。 そうか、そんなにみんな誰かの言いなりになりたいのか、というくらい不安な勢いのコイズミくんの独り勝ちでした。 掲示板の方には皆様が脱力の弁を述べてくれました。とくにどらちゃんとぱるたさんの息子さんたちに語った暗い時代の予感とよく考え、そして生き抜けという痛切なるメッセージにはちょっと泣けました。 いとなんからは掲示板での書きこみプラスDMでも現与党の中で進んでいる教育基本法改正の動きが憲法論議とあいまってかなりきな臭いことになってる、もし与党が大勝したら一気に世の中は危ない方向に走るだろうというタレコミもいただきました。もう『もし』では無くなってしまいましたが。 法が私たちを守ってくれない時代、私たちは少数者となって生きる覚悟をしないといけないのかもしれません。 アメリカのブッシュ再選のときは「もおお、アメリカ人!イラクは正しい戦争だったとでもいうのか!まったくイリタラシ―なやつら!」と怒りもしましたが、あちらは49%くらいはしっかりNOといったわけで、それに比して私たちは30%くらいしかNOと言えなかったのか、と切なくなります。 ええ、少数派として、立派に生きてやろうじゃありませんか。 せっかくマイノリティになれたのだからここでマイノリティの気持ちをしっかり学びたいとおもいます。 以前、在日韓国人の方と結婚された女性が「子どもが生まれて、国籍をどちらにしようかと考えたとき、韓国籍を選んだ。でも普通の日本の学校へやったので韓国語はしゃべれない。私が子どもに与えたのはみんなと異なる国籍だけ。でもマジョリティの中でただ何も考えずに生きるよりもマイノリティとして生きることによって世の中について深く考える機会を持って欲しい。親のエゴかもしれない。でも深く考える人になって欲しい。それは必ず彼の力になるから。」と語られたことを思い出します。 マジョリティは総じて少数者の痛みに鈍感です。 せっかくマイノリティになれたのだから、マジョリティでいるとき気付かないさまざまな痛みに気付き、耳を傾けられる人間になりたいとおもいます。 前に少数意見がくみ上げられてこその民主主義の成熟、なんて話を書きましたが、政府があくまでアジアに背を向けてアメリカのかさにすがって生きるというならオールタナティブなアジアとの連帯の道を草の根レベルで探しましょう。 しかしマイノリティとしては30%って結構大集団じゃあありませんか。耳を澄まして、さまざまなマイノリティの皆さんと手を結び合って、これから来る冬の時代を乗り越えてまいりましょう。 ...
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