西方見聞録...マルコ

 

 

ハウル! - 2005年04月05日(火)

「ハウルの動く城」を観に行った。
いろいろとわかりにくかったり、戦争の終わらせ方が超安易で「戦争って切実さを醸し出す背景として利用されてたのか〜」とちょっこり落胆しちゃう場面もあった。まあアニメにおける舞台装置としての戦争の扱いについてはさまざまなレベルがありますな。なんで戦ってんのかよくわかんないのもあるしね。エヴァンゲリオンの「シト」ってなんだったのよ!とか。ガンダムは(一番最初のやつは)宇宙時代の到来とともにコロニー生まれの新世代と地球に生き続ける旧世代との対立が背景になって、まあ必然として戦争の背景が使われるのは理解出来るか?(でもなんでニュータイプのアムロが旧世代側で戦ってんのか、新旧きれいに割り切れないところに歴史の難しさなんてにじませてたのか?)

で、とにかくハウルの城である。

巷でヒロイン、ソフィーが老婆になったり若くなったり変幻自在なのがわかりにくいという評もあるようだが、ハウルと向き合って「私なんてダメダメ」と恋に飛びこんでいくのを躊躇している場面のソフィーは老婆で、なりふり構わず「欲しいものは欲しい!」と開き直ると、娘の姿にチェンジしているように思われた。

ソフィーの変身にこめられたメッセージは、なりふり構わず「欲しいものは欲しい!」と開き直ったとき人は輝く、というものであろうか。このほしい対象は「恋」に限らずまあ「博士号」だったり、あとなんだろう?まあいろいろあっていいと思う。しかし、私なんてダメダメっと躊躇するファクターは世の中無数にあるの〜、ふううう。

あ〜でもやっぱ「恋」が一番わかりやすいかな「私なんてダメダメ」と「欲しいものは欲しい!」というギアチェンジが非常に移ろいやすいところが。

まあそう言うわけでハウルを観て「恋がしたくなっちゃったな〜」という感想を持ちました。でも「恋」だったらなんでも良いわけじゃなくて「初恋」がしたくなったというのが正確な気持ちなので、もう一生出来ないのでした。



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