戦いのち安息 - 2005年02月15日(火) 11:00より三宮で研究会。発表者はワタクシ、マルコでございました。 ちょっとこの日のために、ワタクシがんばりました。8ヶ月に及ぶフィールドワークの成果を研究費出してくれてる共同研究者の皆様にご披露する席でございました。 そんなわけでここ1週間ほどいろいろ緊張したり突然絶望し「もーいい。仏門に入る」とか意味不明なことも呟きましたがなんとかこの身にINPUTしてきたものを吐き出すことが出来ました。共同研究者のお歴々からも「このままGO!」のお墨付をいただきまあほっと胸をなでおろし帰路についたのが午後2時半でございました。 お、今日はもうこの後フリータイムだ!と、マルコはりきって街に繰り出すことにいたします。JR大阪で途中下車して資料や文献で膨れ上がった巨大かばんをコインロッカーに押し込み、ちっこいショルダーバックひとつの身軽な姿になったマルコが向かったのは中之島の国立国際美術館の中国国宝展でございます。我らがしーちゃんが今週関東から出張してくるかもしれないあのパイプで出来た建物です。 中国国宝展よございました。 平日昼間なのに結構コアなファンが1つ1つの展示に足をとめて見入ってらっしゃいましたが、マルコはまずざっと順路どおりに全体の展示室を歩いて、展示の構造をつかんだ後、入り口にもう一度戻り、心に留まったお気に入りの展示を集中的に見てあるきました。このときはガイド音声機を使いました。 展示は大きく分けると、考古学の間と仏教美術の間に分かれていたように思います。(いや展示室はもっとたくさんあるんだけど)。 そんで考古学空間では漆器というか、漆でコーティングされたランチボックスというか食器入れ<酒具合/皿>(合と皿はひとつの漢字なんですがパソコンで出てこなかったのです。なんて読むんだ?)これは豚の顔がついてとっても可愛いというか不思議です。貴族が野外でピクニックする際に食器を携帯するための運搬具だったとか。雲南の山奥で漆器が生まれ照葉樹林文化の重要な構成要素となって中国平野部へそして日本へとひろがっていったと照葉時樹林文化論者はいいますがこんなところで豚の顔つきイレモノになって貴族の野外ランチを支えていたとは感無量。 あとは西安の兵馬俑はおなじみだけど、兵士や馬だけでなく、いろんな俑(像・人形のこと?)が出土されたとかで船漕ぎ俑、雑技俑、文官俑などの展示がとても面白かったです。西安は21歳の時にバックパッカ-で通りかかって始皇帝の兵馬俑、見に参りました。そして、かの地はももこせんせいやさるとるさまや現在来日中のステイシー様などが青春を炸裂させた土地、幾重にも重なる運命のアヤをいろんなポーズの俑に見るマルコでした。 仏教美術の間では、リンクページでも紹介されている菩薩立像、菩薩半跏像(中宮寺の弥勒半跏像の源流?)も素晴らしかったけどマルコ的には鉄造弥勒如来寄像がなんだか心に残りました。 見終わったあと少し時間があったので常設展も行こうかなと思ったけどなんか余韻が混ざっちゃうともったいないので帰路につきました。 ...
|
|