対岸にかける橋 - 2005年02月18日(金) 「なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。」(P.282) 上記は今期、直木賞受賞の対岸の彼女のクライマックスの1文だ。 負け犬論争を待つまでも無く、女たちはその置かれた社会的状況で何重にも分断される。既婚者か未婚者か、有職者か無職者か、子どもをもっているのかいないのか。 そうした他者との分断を生み出す習性のルーツをこの本では中学校、高校時代の少女達の仲間はずれゲームに重ねていく。 「いくつも年齢を重ねたのに、机をくっつけて弁当を食べていた高校生のころと全くかわらない。架空の敵を作り、一時強く団結する。けれどもその団結が驚くほど脆いことも小夜子は知っている。」(P.271) 中年と呼ばれる年代にさしかかり、今、このときこそ本当の友情を結ぶ相手が必要なのに、友情は常に状況に囲い込まれた人間同士の間でしか結べないとしたらんなんだかむなしい。 ある意味この分断の閉塞感を突き破るひとつのツールとしてインターネットの個人サイトはあるのかもしれない。勿論ネット上でも働く母は某畑に集ったり、主婦サイトのカリスマが多くの信奉者を集めたりと、ネット上でも共感を基礎においた分断は発生する。それでも自分とは違う形の人生を歩んだ人の喜びや痛みにリアルに接することのできるブログや日記というツールはとても得難いものだと思う。 最近しーちゃんのページで独身女性に向けられる社会からの圧力の不快感が炸裂しており、時折社会への怒りは異なる人生の局面を迎えている女性にも及んだ。はらはらしてみていると、みんみんさんやぴよたさんがそっとそれぞれの立場からそれぞれの喜びと社会からの思わぬ反応を語っていくなかでしーちゃんが「(正論とは)誰にとっての正論かってこと」でひとつの定見なんてないんだ、という述懐をし、最終的に「みんな、それぞれの喜びと悲しみを抱えて生きている」という結びの言葉で議論をとても上手くまとめていた。その過程は「しーちゃん心の旅路」と題名をつけたいような劇的な場面だった。 働く子どもを持つ女にも喜びもあるが、やっぱり痛みはある。痛みを大声で書いちゃうと子どもを持ったことを後悔していると自覚したり、思われたりするのが怖くて、あんまり声を大にしていえないのだが。 子どもを持つとリストラのターゲットになるのは誰でも知ってる事実だ。だから子どもをもつことを理由に解雇されないような法律が出来たんだが理由を変えていくらでもそういう圧力は迫ってくる。リストラされないまでも閑職に回されるなんて当たり前に行われる。そしてそれがその当事者のためだとか平気で第3者が語る。 「電車で子連れでのって舌打ちをされる。」「面と向かって老年女性に何か言われる。」もっと書けばいろんな場面がある。 最前線で戦い続ける畏友さるとるさんがメールで「こと仕事に関する限り、両足に重い荷物くくりつけて、さあ飛んでごらん、っていわれてるような気がするときがあるなー」と語った時は「そうだろうな〜」と心から思った。子どもを生んだことで得た物があり、また失ったものがある。 インターネットのウェブ日記や掲示板は自分とは異なる人生を歩んでいる人の体験をバーチャルにするっことで異なる視座を手に入れるためにもあるのだろうと思う。その機能を果たすためにもどんな立場の人が読んでも「読めるもの」を書くのって大事だなと思った。 ...
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