西方見聞録...マルコ

 

 

友が来たりてがははと笑う - 2005年01月23日(日)

 ケニア時代の友人がやってくる。と言っても日本人なんだが、同時期協力隊員をやってた人々なんである。2人は夫婦である。
 夫さんのN君がマルコと同じ町で勤務していた人だ。 N君とマルコはその町で2人きりの協力隊員で、わりと仲が良かった。お互いに恋人が異国にいたので(マルコの恋人って恥ずかしながら、あめでおさんのことである)好いたり腫れたりはしなかったが、お互いの遠恋状況を自慢しあったり、ケニア人の友人の結婚披露宴に一緒に参加したりして異性の友人関係を穏当に維持していた。

 奥さんのHちゃんの方は私たちが勤務してた町から120キロばかし南の町で勤務していた。そんでHちゃんはマルコと同期隊員だった。(注:協力隊は年に三回派遣される。それぞれ1次隊2次隊3次隊と呼ばれる。たとえば「平成14年度2次隊」とかって感じで300人くらいがグルーピングされ、2箇所(現在は3箇所)の訓練所で三ヶ月弱の訓練を受けてその後それぞれの国に送られる。同じ国に行く同期隊員は結構な絆で結ばれる運命)

 Hちゃんはマルコの任地に最初はマルコのところに遊びに来ていたが、なんだかそのうちN君と付き合い始めた。N君は異国にいる恋人との板ばさみになって、しばらく悩んでいた。でもそのうち吹っ切れたようで、異国の恋人とはさよならして、Hちゃんと楽しく付き合い始めた。

 マルコ的には一番仲のいい男友達と女友達がカップルになってしまったわけで、実質的には仲人なんではあるが、なんだか寂しかったのを覚えている。あと遠恋がはかなく散っていくのを目の前でじっくり観察したのはなんと言うか切なくも興味深い体験だった。

 まあそんなこともあったが二人はマルコと似たようなタイミングで帰国し、めでたく結婚し、マルコは結婚式に招待されスピーチなんかもした。

 N君は実家のものすごい山奥のほうの建設会社で、N君はその跡取として故郷へ帰っていった。Hちゃんはためらいもなく、ついていった。都会生まれの元パタンナーでオートクチュールの製作なんかに勤しんでいたHちゃんにはなんだかびっくりな環境への嫁入りだったんではないかと思う。なにしろN君の暮らす集落には小学校までしかないので、子どもたちは中学校になるとみんな親元を離れて、中学校がある比較的大きい集落に下宿するという。

 結婚式と今度の再会も含めてHちゃん・N君夫妻に会うのは帰国後、三度目なのだが、Hちゃんの口からまるっきりの夫陣営の中での田舎暮らしの不満を聞いた事がない。お舅さんもお姑さんもN君の4人の女姉妹(N君は5人兄弟の唯一の男のコ)も「とってもやさしくしてくれるの〜、だからいつも寝坊しちゃうの〜」とマイペースだった。
 昨年お姑さん(N君の母上)が亡くなり、建設会社の経理は近在に住むN君のお姉さんが担当して、兼業で行ってきた民宿経営はHちゃんが担うことになったという。

 子どもも3人出来て、昨日の法隆寺境内での再会ではうちの娘2人を合わせて5人の子どもが大集合したわけだ。

 えらいなあ、Hちゃん。としみじみ思った。アフリカにいた頃はそんなに思わなかったけど(失礼)。Hちゃんがあのころのわりとかわいい雰囲気のまんま3人の子どもを育てながら民宿の若女将をして、そんな自分をとっても楽しんでいる。

「私たちってばアフリカでとんがってた割にはこんなに遺伝子のコピーを大量にしちゃってさー。」

 と法隆寺の渋い風景をバックにHちゃんは「がはは」と笑った。



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