西方見聞録...マルコ

 

 

法輪寺でエスパー - 2005年01月22日(土)

 職業欄はエスパーという本を買ったので1日読んでる。

 昼過ぎにみんなで法輪寺に散歩に行ったのだが、そこで子どもらとあめでおさんが遊んでいる時もベンチに座って読んでいた。

 作者の森達也はあのオウム真理教事件で日本全国マスヒステリー状態に陥ってる時に、もうひとつのオウム像を描いたドキュメンタリー作家だ。あの折の作品「A」も日本国内では上映の場がなくベルリンのドキュメンタリー映画祭で賞を受賞して日本に凱旋してきたんだった。1つの社会正義に集団的に陥ってしまう日本社会の世論形成のやばさがすごくうまくえがかれていたと思う。

 今回も超能力を、信じる/信じない2元論のどちらの立場にもたたず、ただそこにあること、つまり、超能力という日々を生きる3人の中年男の日常が淡々とえがかれる。そうすることでこれまで肯定派と否定派からしか語られなかった「超能力」がなんだか良くわからないけどもわもわと曖昧で、テレビ的演出にはそぐわない、とても主観的な現象として捉えられる。

 能動的に信じているわけでも、信じていないわけでもないが、そこにいる人々が主張する彼らの異質性を自然体で受け入れている感じ。

 世の中とかく白黒つけたがる。敵か味方か。聖か邪か。本物かまがい物か。そしてその白黒枠にしたがって両陣営に世論が収斂されていく。ホントは白と黒の間には大きないろんな濃淡の灰色ゾーンがあるはずなのに。マスコミとそれを頭から信じる世間が白と黒の間に明確な線引きをしていく。線を引くことで濃淡の豊かな世界はいっきに平板になる。世界は多様で沢山の異端と共存していることを、線を引くことでみえなくさせている。それが異端やマイノリティにとって、とても生き難い世の中を作り出しているのかな、なぞと思った。

 




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