西方見聞録...マルコ

 

 

舎利はあそこにあるから舎利 - 2005年01月03日(月)

 さて法隆寺では正月3が日、仏さんの舎利をご開帳してくれる「舎利講」が営まれます。この仏舎利は聖徳太子が手に握って生まれてきたものだそうでございます。「何でその手に握ってるものが仏舎利だってわかったの??」というべたな質問もあろうかとは思いますが、まあここは思考停止して「聖徳太子が手に握って生まれてきたありがたい仏舎利」という二重三重に世界びっくり人間なありがたい舎利を拝みに善男善女が集うのであります。




いつもは閉まってる舎利殿もお隣の絵殿も元旦から3日間開放され、見放題です。
そんで舎利が御開陳されるまでお経が結構長いので、舎利殿のある夢殿近くで達磨さんが転んだをしながらその瞬間を待ちます。

 御開陳される瞬間、寺男さんや寺女(?っていうのか?お寺の中のお掃除をしてくれてる人々)さんのなかのマニアな方がたが「そろそれだわ。」と集ってきます。わたしたちも去年見ているので大体のタイミングはわかります。開陳された仏舎利を見に舎利殿の中にちょっこり入ってその「モノ」を見せていただきました。




 さすがに中は撮影禁止なので、法要が終わったあと、参拝客と一緒に出てきたお坊さんを激写。




 今年はお正月中に1号さんの歯が抜けてあめでおさんが「おおこの1号の歯と舎利講ででてくる仏舎利をすり替えよう」なんて罰あたりな発言をしていましたが、1号さんが冷静に「すり替えてきた仏舎利はどうするの?おうちに置いとくの?」と質問なさいました。ほんと仏舎利なんか、うちに持ってきても困ります。それは法隆寺にあるからこそ光り輝くのです。在るべきところにあるから物事は光り輝くのですわね。それを人は秩序と呼ぶのでしょうな。


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