西方見聞録...マルコ

 

 

猿の攪乱 - 2004年12月09日(木)

かくらんって漢字はコレでよかったのでしょうか。いまいち自信がございません。

 さて表題どおりあめでおさん攪乱中であられます。水曜の夜から40度ほど発熱されてずーっと部屋の隅に寝ています。お医者さんも行ったらしいんですが、かかりつけ医がその日ちょうどお休みだったので法隆寺門前の年代物のお医者さんが「コレはなんだかわからないけどインフルエンザじゃないよ」という診断んだかなんだかわからないご託宣を受けて帰ってきた模様。

 ワタクシ的にはインフルエンザだと思うんですが。せっかく注射打ったのに無駄な抵抗でしたか。

 あめでおさんが使えないと家庭を回す業務全般がマルコのごッつい肩にのしかかってきてそれはそれは疲れます。夫というのは労働力なのでございます。小学校1年生の1号さんもちょびっとだけ使えます。全身ヨーグルトまみれになったおKさんがヨーグルトをなすりつけて歩くのを捕獲して確保しておいてくれるとか。でもまあその程度です。あめでおさんならおKさんを確保して服を着替えさしてその辺を拭く所までやってくれます。

 でもまあそもそも、結婚して子どもを生まなかったらここまで家事は肥大化しないので、相方と分担する必要もないですな。なんか原子力発電所を回すのに巨大なエネルギーが消費されるから原子力が必要だと主張しているみたいです。

 ほかに結婚の実利って何かあるかな〜とつらつら考えてみたんですがうちの夫婦の場合は結構相方の稼ぎを担保にリスキーな生き方を選べたってことが言えるかもしれません。20代後半から30代前半はあめでおさんリスキー期で、30代後半からいつまでかはわかんないけどとにかく現在はマルコリスキー期ですな。でもやっぱり結婚してなければリスク自体がそんなに大きくないので担保事態が必要ないのか?と思いなおしました。

 基本的に結婚するしないの選択と言うのはチームプレイ系の競技がすきか、陸上系の個人種目が好きかって言う嗜好の問題なのかな。

 以前、既婚文化と未婚文化の異文化理解のススメみたいな感じで酒井順子の負け犬論の時にこんなふうにこんなふうに書いた覚えもありますが、まあ嗜好の問題です。どっちの道を行こうが。年とともに、状況とともに、ここまでチームでやってきたけどちょっこり一人でやってみっか、とか、この黄金の健脚をちょっとアメフトで生かしてみたいとおもってチームプレイから個人競技系に移ったりその逆をしたりしてもいいけど、どっちがよりすぐれていると、価値付けをすること自体あんまり意味のない行為なのでしょう。

 ここんとこ掲示板でいい男の選び方とか話題になっててちょっと考えてたんですが、男の選択や夫婦のありようを考えることは決して「結婚のススメ」ではないよな〜と思い至りました。

 例えば私は娘2人がいて、彼女らのしあわせを心から望んでいるけど彼女らの幸せはなんなのか親の私にはわからないってのが正解のような気がします。親は子どもに幸せになって欲しくていろいろ言いますが基本的に親のそういう「子どものためを思っての発言」ってのは85%くらい間違ってるような気がします。時代が30年ずれれば時代の常識も変容するのが当然でしょう。

 せめて「いい男を選んで、恋愛だけでもしてくれ」と言う思いも例えば、娘がレズビアンな場合は娘らしさを抑圧することにもなるわけですな。

 でもだからって物分りのいい顔するのも癪なのでやっぱり30年分位ヅレる予定の親の常識をうるさく言い立てて「もうおかあさん馬鹿なんだから黙ってて!」とか言われて娘が選んでいく道のアンチテーゼを提供することくらいにしか親には出来ないのかなとか考えたりします。

 あめでおさんご病気中で話し相手がいなくて暇なマルコの繰言でした。


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