西方見聞録...マルコ

 

 

正しい斑鳩町民としての1日 - 2004年12月05日(日)

 さて昨日神戸からの帰り、大阪であめでおさんと待ち合わせして、みんなで夜帰宅したんですが、我が家の最寄り駅に着くといきなり大雨が降っていたので愛車のチャリを駅前の駐輪所に置きっぱなしにしてタクシーで帰宅してしまったのでした。

 そんなわけで本日お昼前、自転車を取りに行くために家族で徒歩にて駅へ。途中、近所の幼稚園で西和7町村合併の意思を問う住民投票に投票しました。事前にこんな記事が出てましたがまあどうなるのかな~。今(午後11時現在)ちょっと町のHPを見てみたらあっさり結果が出てました。そうか圧倒的多数で合併否決ですか。まあそれもいいか。合併協議会ご苦労さんって感じですな。私自身は行政の効率化を考えて現在の町の規模は少し小さすぎるように考えていたんですがまあ多くの人は「小さくてもいい、伝統的であって欲しい」ってことだったんでしょうかね。

 さて自転車を駅前駐輪所で回収した後私たちは今度は法隆寺に向かいました。ここではやっぱ先日朝日新聞の一面を飾った若草伽藍の遺物発掘があって、本日は1日現地説明会が法隆寺門前の発掘現場で行われてました。
 下記が現地写真。







 若草伽藍というのはですな、607年だかに建てられた法隆寺のプロトタイプの遺構で、現在の法隆寺はそれより半世紀ばかりあと、天智天皇の時代に再建されたものなんじゃないかという説があるんです。こっちの説は法隆寺再建説といいます。そんで、いや寺が二つあって法隆寺の近くにもうひとつ焼けた寺があったんだ、という法隆寺非再建説ってのもあってこの再建論争は今年で99年続いていて、来年栄えある100年目なんだそうです(論争の長さも伊達ではありません)。

 そんで今回出てきた遺物には燃えたあととか、焼け跡くっきりの壁画の破片
とか出てきて、再建設の有力な証拠となりそうなんですわ。

 現場の説明を聞いたあと200メートルばかり先の法隆寺Iセンターという観光案内所で件の遺物が展示されているというのでそれも見に行きます。まずIセンターの講堂で斑鳩町の教育委員会の発掘担当者からレクチャーがあってそれから遺物を見るという流れになってました。途中おKさんが飽きちゃったのでレクチャーの途中で中座して遺物の展示スペースに生かせてもらったのですが家族4人で世紀の大発見遺物をのんびり見ることが出来ました。

 これまで発見してきた若草伽藍遺構とかは文化庁主催の大調査で発見されてきました。しかし今回の遺物は例の「かどや」さん立ち退きによって法隆寺前のスペースを整備するために行った斑鳩町の教育委員会主催の発掘調査で発見されたので町としても物凄い力が入っていました。でもこの遺物も国立の橿原考古学博物館に上納する運命なのかな?

 その後法隆寺境内にて年賀状用の写真を撮影。

 これまで年賀状は2児の写真を送ってたんですが今年からは家族4人の写真にしようと我が家の写真奉行のあめでおさんのご発案。子どもだけだとベストショットがとりにくいというのがその理由です。なんだよベストショットって。

 そんな斑鳩町民として正しい初冬の休日を過ごしたのでございました。



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