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「神のうち期間」終了 - 2004年11月06日(土) 本日は長女1号さんの7歳の、そして次女おKさんの3歳の七五三の儀式を執り行いました。7歳の女児の儀式は帯解きの犠といい、3歳の祝いは髪置きの犠というんだそうです。出典はこちらの着物やさん。 まあ、あんまり現代社会においてものごっつい意味のある儀式ではありません。ですが、3歳や7歳と言うのは本人の意思より親の意思が尊重される時代です。親や、じじばばが子どもを肴に集まって楽しく過ごしたいんですから、ココはひとつよろしくお願いします、って感じで2児には七五三していただきました。今後娘たちは「着物は日本女性にとってストレインジャケット(拘束衣)である。」という主張をするようになるかもしれませんが、まあここは親の顔立てて一発装ってほしいものです。事実マルコは7歳で着物着て以来、20歳の成人式も、さらにツッパリ盛りの28歳で挙げた、てめえの結婚式も、スーツ着てすませてしませてしまったのでした。今思うとそんなに突っ張りかえらずに、着物のひとつも着といたほうが良かったんでないのか、とじぶんに語りかけてやりたい気持ちもあるのですが、当時は着物着るよりその金でみすず書房の本が買いたい、とか何とか力みかえっていたんだと思います。 前置きは長くなりましたが、とにかく七五三でした。さて上記のようにトラディッショナルな儀式になると割と消極的になってしまうマルコの性格を見越して、実母エルザさんは雛人形とか、七五三の着物が必要な年になると、その売出しが始まる日、つまりシーズンの頭、に必ずお買いになって「買っといたわよ。どうせあんた買わないでしょ。」といって儀式の日の1ヶ月前くらいになるとモノを(足袋も草履もなにもかもセットになった奴)宅急便で送ってくれるのでした。実務能力がまるでないマルコは大変ありがたいですし、姑が「どうするの?」とか言ってくる前にいつもなにもかもが出来上がってるので「用意のいい嫁」のフリをすることまで出来ます。ありがとう>エルザさん。でもよく考えたら、おかげで核家族で儀式ができなくって、前提条件としてマルコとあめでおさんの実家を呼ばなきゃならないわけか、う〜む子、親、その親様々に思惑が絡み合う七五三ですな。 また、今年はいろいろと忙しくて、送ってもらった着物も前日まで中身をチェックできませんでしたし、1号のお古として家に置いといたおKさんの3歳児用の着物なんて着せなきゃいけない1時間前まで未チェックでした。 そして今回マルコが頭をひねったのはどうやって儀式からその後の宴会からをマルコの家の外で行うかと言うことでした。マルコは金曜の夕方まで仕事があるので土曜は家の中が掃除できてない状態で迎えます。しかし斑鳩よりはるか東方のお江戸に居住する両実家の老親を呼ぶわけですから、家に一歩たりとも入れん、というのは結構むつかしいです。そこはあめでおさんを参謀にいろいろ策を練って、参加者の集合場所を会場となる龍田神社において現地集合と言うことにして、龍田神社から我が家の間にある旅館に両実家の老親を宿泊させ、そこで夕食をみんなで食べてお祝いをする、という段取りにしました。まあ、これで「家の掃除」と「宴会の準備」と「客の宿泊」と言う三重苦から逃れられます。マルコの仕事は適当に家族のものを着飾らせて、お参りさせて、酒飲んで飯食っていっちょ上がりです。ですので事前準備は1号さんの着付けの予約と旅館の予約のみでした。ちょろいぜ。 さて、当日、まずは1号さんとあめでおさんが予約しといた家のお向かいのパーマ屋に着付けしてもらいに参りました。そこでゆるゆるとおKさんが着る予定の着物を取り出しまあいっちょ、着させるべ、と思ったら!んが〜ん!!丈が長くておひきづりさんです!なぜ?なにゆえ?1号さんだってこれを着たじゃん!と灰色の脳細胞を回転させると、そうだ、1号さんも長かったから、エルザさんが着丈を短くして宅急便で送ってくれてたんだけど、その後も毎年お正月に着せてたら、5歳くらいで丈が短くなったからもとの長いサイズに戻しちゃったんだっけ、といろんな映像が脳裏をよぎりまくります。さて困った、コレから丈を短くする時間も技術もない。一心に長すぎる丈の着物を見つめていると、以前エルザさんが丈を短くされた時の縫い痕が裏地に微妙にのこっています!その縫い痕を頼りに安全ピン7本を使用して何とか丈を短くすることに成功。 そのピンチを脱した晴れ姿が下記でございます。 汗だくになって1号さんの準備をしている美容院におKさんを伴い参りますと、1号さんさすがにプロの手によりそれなりに変身なされて、半玉か、チビタマかって雰囲気で完成なされておりました。 そこから着物姿の2児に運動靴はかせて、バスに乗って龍田神社に移動しました。バスに乗り合わせた老女な方も運転手さんも「七五三かい?おめでとう。」と祝福してくれました。神社に到着し、しばらくして参加者全員集いました。まあココで10円ほどお賽銭上げてむにゃむにゃお参りして帰ろうかとも思ったのですが、ちょうどそのとき、お宮参りで祈祷してもらってたご一行様が拝殿から出てこられました。神主さんもばっちり装束決めてそこに居られたので「まったく予約してないんですがご祈祷お願いできますか?」と聞くと「いいですよ」と気さくに応じてくれました。2人ともお祈りしてもらって9000円でした。 下記がお祈りされ中の1号さん。祝詞も郷土色豊でおもしろかったです。ちなみに神主さんは女性でした。なんか優しげでいい感じでした。 さてその後あめでおさんも心行くまで写真をとられ、気が済んだところで、再び2児は草履から運動靴に履き替えて、全員で宿泊先の法隆寺の東にある旅館「大黒屋」さんに移動。ここは正岡子規が逗留したり、高浜虚子の「斑鳩物語」ではこの旅館の娘が法隆寺の僧と恋に落ちると言う設定だったりしてまあ、由緒正しい旅館なんですが、今は寂れてご夫婦2人で営まれている民宿って雰囲気でした。でもお料理も素朴に美味しく、とっても善人そうな女将さんが素敵で「まさかあなた様があの斑鳩物語のモデルでは?」というような失礼な疑問は持ちませんでした。 で、まあその大黒屋への移動途中、法隆寺境内を散歩がてらみんなでそぞろ歩き中が下記の写真です。 2人も女の子が着物着てれば、それなりに目立ち、割と注目を集めました。おいおい七五三は寺におまいりじゃなくて神社だろ?という突っ込みも聞こえてきそうでしたが、法隆寺は散歩経路なのです。お許しください。 中でも外国からのお客さんは非常に子どものばっちりした民族衣装が嬉しいようで、白髪の欧米系と思われる一人旅中と思しきおばあさんがふらふらと私たちについてこられました。 まあ気持ちはわかります。私だってアフリカ勤務中、平素びしっとスーツ着てるアフリカ人の皆さんがお祭りの日に腰蓑つけてトラディショナルダンス踊ってくれれば、ばしばしカメラで写真とって、やっぱこうでなくっちゃ、と喜んだものです。またスペインに学部の卒業旅行で参上したときちょうどスペイン・バレンシアの火祭で民族衣装姿のお嬢さん「ポルファボール」とお願いして写真とらせてもらいました。 さて、件の白髪のおばあさんはかな〜り長い間1号さんの跡を追いかけた後、「シル・ブ・プレ」とフランス語で声をかけてこられて、身振りで写真とらせてくれ、とお願いされました。なんか現地人としては嬉しい気持ちで「ダコード、シル・ブ・プレ」と鷹揚に許可を与えます。 あめでおさんがカメラを向けると嫌がる1号さんも、このときはびっとカメラ目線で写真を取られていました。あめでおさんもココを逃がさずとフランス婦人の横で激写活動。「1号め、わしだと写真をとらせんくせに、フランス人には許しおって、わしもフランス人になろうか」なぞと口走ります。 あめでおさんあんたきょう1日で700枚も取ったやん>写真。 あのご婦人が撮影なされた写真はフランスでどんな風にアルバムに張られたり、知人に見せられたりするのかな?とあまやかに想像しながらも、悪用しないでね、おばあさんとも思う情報化社会の私たちなのでした。 まあ、私は世俗の絆にびしばしつながれて今日の七五三を楽しく執り行ったわけだけど、異国を一人旅する老境の自由にしばし思いを寄せたりしました。 そんで大黒屋さんで着物を脱いで、ちょいとおしゃれ目な黒いビロードのワンピースに着替えて2匹の黒猫のように法隆寺境内で夕暮れまで散歩しました。 まあ2児をはじめ、遠方よりお越しのお客さんも、いろいろとたくらんだあめでおさんもマルコもまったくお疲れ様でした。それなりに人生の中で思い出に残る良き一日となりました。肴になってくれてありがとう>1号さんとおKさん。 ...
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