ふぃくしょなる・でぃすちにー - 2003年06月13日(金) 制御できない現実や自然に立ち向かうとき、人は超自然的なパワーに働きかけたり、帰依したりして、雄雄しく不条理な現実や自然と対峙する力を得る。 南洋の孤島の漁民が様々な儀礼で森の精の加護で丸太船を作り、海の精の加護で安全な航海ができると信じてひとまず出航するように。 フィクションや文学も多分そういう機能があるのではないかな。つらい現実と折り合いをつけ、納得できない世界を理解するために人は虚構の助けを借りる。 夫婦の縁が運命的なものなんて、結局はフィクションだけど、それで世界と納得して和解出来るのであればそれもよし。でも自分の虚構を相手に押し付けるとストーカーの世界になりうるのがちょっと怖いけど。(君はぼくを嫌ってるがぼくたちの縁は運命なんだからあきらめたまえ、とかね。) 文学(フィクション)とも宗教とも全く縁を持たない文化というのは地球上に存在しないよね、きっと。そういう世界と折り合いをつける手段をもたずにわたっていける程、世界は人間にとって優しい場所ではないと思う。 今日のたわごとは「運命の子猿」への自己レスですが、べつにあめでおとケンカしたわけじゃ有りません。掲示板でいとこにそのフィクションを夫婦で共有しているのか?と聞かれたのでちょっと考えてみただけです。 本日は自宅学習日。むしむししますわ〜。 ...
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