【復活!】ダイエットなDIARY
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2002年02月08日(金) 挨拶

いやあ〜。



やっぱ身体を動かした後の一服はうまいのう。









などと、どこが休煙なのか分からないことをしている。







今日の歩数。
11,792歩
歩行距離。
8.848Km
消費熱量。
297.3Kcal
今日の体重。
63.8Kg
体脂肪率。
23%




今日は一万歩を越えるコースだ。
結構疲れたが、途中で書店などに寄ったのでそれほどでもない。


体重も昨日より1キロ減っており、体脂肪率も1%落ちているが、昨日も書いたように一喜一憂などしない。
食事や排泄のタイミングで増減があるから、こんなものは誤差の範囲内である。







購入したのは以下の数冊である。

古川日出男『13(ju-san)』(角川文庫)
文藝別冊『追悼特集 山田風太郎』(河出書房新社)
清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書)

その他雑誌数冊。




『13』の作者のものは今回が初めてである。
けれど、なんかすごく面白そうである。

書店でぱらぱらと開いてみたページがどれも密度が高そうな雰囲気だ。
活字が凝縮されているという感じ。
少しポイントが小さいのかもしれない。


丹念に書きこまれていて、読みがいもありそうである。
イメージの飛翔がどれほどあるのだろうか。

期待して購入した。



『追悼特集』には、昨年物故した山田風太郎の特集で、様々な人のエッセイやら対談が収録されている。
その他に、単行本未収録や文庫本未収録の中・短編が掲載されている。
これは買いである。



岩波新書は、初版が1959年に出たものの復刻版で、ぢつは古いのは、以前古本屋で見つけて数冊持っている。
4月から学生に教えるために購入しておいたのである。

岩波書店の出版物は書店買取である。
つまり売れない場合も、書店は返本できないシステムであるらしい。
だから、岩波としては在庫がその都度はけてしまうので都合がいいかもしれないが、品ぎれになるとまったくなくなってしまうのである。
中には、学生にとって必読といえるものもあるので、なくなってしまうと困るのである。

だから必要なものは数冊手元において置くようにしているのである。



・・・岩波商法である。










さて、ウォーキングの途中で、小学生の下校時間に当たったらしく、子供たちとすれ違う。


小学生、といっても本当に子供で、まだ午後の早い時間であったから小学校低学年であろう。

数人のグループで帰っている子供たちもいれば、一人きりで歩いている子供もいた。


オレの格好は、黒のウインドブレーカーの上下。赤いスニーカー。細目のサングラスのフレームは黒でレンズの色はうすい緑。不精ひげ。
このような出で立ちで昼間っから歩いているので怪しい限りである。





今また、一人で下校する少年とすれ違う。

怖がらせると悪いので、目を合わせないように気を使った。

すると少年は、

「こ、こんにちは」

と挨拶するではないか。

しかも、顔がちょっと引き攣っている。



オレは少し驚いたが、

「こんにちは」

と挨拶を返す。



それきりそれぞれ反対方向へと分かれて行く。







オレは、「へーー。あの子供は親のしつけがいのだろうか」などと考えながら歩いていた。








しばらくすると、今度は別の子供が見えてきた。


まるでランドセルが歩いているかのような小さな女の子だ。


やはりびびらせると悪いので、できるだけ目を合わせないで通り過ぎようとした。


すると、

「こ、こんにちは・・・・・」


と、女の子が挨拶をするのだ。


しかも、語尾が消え入りそうな小さな声だった。


やはり、顔はちょっと引き攣っている。



「はい。こんにちは」

と、オレは精一杯微笑んだが、うまく笑えたかどうかは分からない。


そして、少女とすれ違う。










「なんなんだ?一体いつの間にみんなこんなに礼儀正しくなったんだ?」




疑問に思いながらも、しばらく歩き、そこでオレは気がついた。






これは恐らく小学生を狙った犯罪があまりにも多いため、その防衛策なのではないだろうか。

ひょっとすると、「下校時、一人きりであやしい大人に出会ったら、まず先に挨拶をしろ」というマニュアルがあるのかもしれない。

その証拠に、数人のグループで下校している子供たちともすれ違ったが、彼らは挨拶などぜんぜんしなかった。





つまり、これは幼児や児童を襲うような犯罪者は社会性をいちじるしく欠落していることが多いというプロファイルに基づいた防衛策ではないかと思う。

なぜなら、機先を制して先に挨拶するということは、二人きりというその対面状況へ「社会という文脈」を与えることになるからである。

「挨拶」は、礼儀やマナーといった習慣に基づいており、それは社会を構成する基本原理であるからだ。



こちらも、そちらも、ともに「同じ社会に住む、生きた人間であり、尊重されるべき独立した人格」であることを、したがって「大人の欲望を満たすための単なる物ではない」という見えない社会的文脈を現出させるのだ。



だから、学校では、下校時の注意事項として、そのような指導を与えているのかもしれない。

そう考えると、子供の顔が引き攣っていたり、か細い声だったりしたのもうなづける。


つまりあの「挨拶」は、彼らが、オレをそのような「あやしい大人」であると判断し、精一杯の防衛を必死になって行っていた結果なのではないだろうか。






確かに、平日の昼間からのんびりとウォーキングしている黒づくめでサングラスをかけた30代男(独身)は「あやしい大人」である。

おまけに不精ひげも伸び放題である。









信号のない小さな交差点で、オレは、カーブミラーに写る自分の姿を改めて確認してみた。







・・・・・・・。







ううむ。確かに、あやしい(笑)。


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