東南アジアサッカー調査メモ...ogaoga2k

 

 

10 minutes: 米国西海岸雑記 - 2004年03月29日(月)

●便座カバーは米国でナカナカ売っていないらしい

●日本のリフォーム番組「劇的!ビフォア・アフター」に
 クリソツな番組が米国にもあるが、こっちだと、色々な
 スペシャリスト(インテリアコーディネーターとか)も
 登場するらしい

●日本から撤退した高級雑貨用品店「ウイリアムズ・ソノマ」
 には、炊飯器が置いてあり、寿司用の米・のり・酢と一式
 セットで売られていた。
 
 パッと見は”炊飯器=スシ製作マシーン”。



●1930年代、中国人のみで構成されたプロバスケチームがあり、
 そのチームは結構強かった。


アメリカ華人歴史学会で見つけたネタですが、このチームは、
HONG WAH KUES(宏華客?=勇敢なる中国人戦士)つー名前でして、
1939年から1941年にかけて活躍した、米国華僑初の”プロ”バスケ
チームでありました。

James W. Porterなる人に率いられたチームは、シカゴを皮切りに
米国中西部とカナダのツアーを行いまして、1939年は56勝
21敗という成績だったそうです。


ツアー中、当時の米国では中国人を見たことがない人が多かった
ようで、サウスダコダではインディアンと間違われ、ビールを
飲むのを拒否されたりしたそうですが、本人たちはカリフォルニア
から出たことがなかったそうで、とても刺激的だったとか。


詳しくはココ■




色々読んでみると、結構イロモノ扱いだった可能性も、なきに
しもあらずですが・・・。



ちゅーわけで、そこの資料室を色々探っておったわけですが、
戦前の華僑スポーツシーンでは、バスケ、バレー、カヌー、
テニスの資料は発見したものの、サッカーは見当たりません
でした。

(んでも、1914年に、ミネソタ大学初の中国系学生が、
 サッカー部にいたことは確認であります 。詳しくはココ■)




戦前、華僑チームは日本の移民ともスポーツで交流していたそう
ですから、もしかしたら、華僑vs日本人移民のサッカー試合in米国、
という相当タマラン試合が行われていたかもしれませぬ。


※野球では、20世紀初頭にハワイで日本人移民と華僑が
 試合を行っていたそうです。ハァハァ(詳しくはココ■)

※あと、華僑のバレーボールの歴史も相当たまりません。
 クリーニング屋さんが始めたそうで。(詳しくはココ■)



ま、海と時代を隔てた東アジア人同士の交流ってのも、なかなか
ロマンがありますな。


○今回のネタのご協力:ぞいさん

サンクス!


...



 

 

 

 

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