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■ ひとりごと
最近、親の介護ついて考えることが増えた。 母の記憶力は年々低下していくし、正直どこまでが正常範囲なのか私には判断がつかない。 父は相変わらずで、口を利くのは喧嘩をふっかけられた時だけ。 定年退職後は家にいる時間が増えた父。 それでも私は平日は仕事でほぼ家にいないため現実から目を背けていたが、最近はコロナ禍で在宅ワークが増えたこともあり、父の部屋の扉の音、階段を上る音、咳払い、舌打ち、ありとあらゆる気配に怯え、苛立ち、気持ちが凹むようになった。 学生の間は、学歴という意味で自分が一生勝てない父に対してコンプレックスがあったし、完全扶養のため何も言えないという弱さがあった。 それでも社会人経験をある程度積むと、相手の狡さや脆さ、非常識さ、論理的破綻が理解できるようになってくる。そうやって論破できるようになった娘に対して、当然ながら冷静ではいられず、激高して暴力と権力を振りかざしてくるのは言うまでもない。 私一人なら、家を出ればある程度解決する話もあるのだろう。 新入社員時代からたいして増えない微々たる収入だが、いざとなれば数年は外に出られる程度の蓄えはある。 でもそうしたら、母は一人ぼっちだ。 毎日の口論で、父の誘導尋問にまんまと引っかかる母が、父と二人取り残される。だからと言って、世間体を何より重んじる見栄っ張りの母は、経済的に困窮したくはない彼女は、今更離婚もできないのだ。
そんな破綻した家族関係の中で気づけば幾星霜。 気づけば介護を意識するようになった。 ずっと、親より自分が先に死ぬような気がしていたのに、それはただの願望だったと気づかされるから。年を追うごとに不調はひどくなるが、一方でそう簡単に死ねはしないと分かってくる。 もともと結婚に欠片の夢もなく、ましてや大嫌いな遺伝子を持つ子供を産むなんて考えられなかったけれども、だからと言って独りで生きていけるわけでもなかった。 親を棄てられるわけではなかった。
介護で追い詰められた時は、たとえ大切な相手であっても疎みたくなる、傷つけたくなるほどしんどいと思う。 それがもし、憎しみしかない相手だったら? 施設入所にも条件があるし、費用も莫大にかかる。 何より日本は、家庭内で介護をするのが当たり前という文化がある。 そんな中で、憎みあう家族はどうやって介護問題を乗り越えるんだろう。
相手が他人なら。 それが仕事ならば。 嫌な相手でも割り切るしかないし、実際できると思う。
でも相手が肉親なら? ずっとずっと、憎しみだけを抱えてきた相手なら? 触れたくもない、口もききたくない、そういう相手を介護しなければいけないとしたら? 一線を越えてしまう前に、何をすべきなんだろう。
とりあえず、先立つものは貯蓄しかないと思いながら、自分の生活でいっぱいいっぱいなのが哀しいところ。
2021年07月16日(金)
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