unsteady diary
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 トスカーナの休日

数年前に、「トスカーナの休日」という映画を見た。
ダイアン・レイン主演の、いかにも女性をターゲットにした「自分探し」とか「再生」っていうテーマの単館系映画なのだけど。
夫に裏切られて離婚することになった中年の主人公がトスカーナへ傷心旅行に出る。たった10日間のはずが、小さな町コルトーナで出会った古い家に運命を感じて衝動買いしてしまう。そこで新しい生活を始めるが…。
正直ストーリーについては馴染めない部分もあったのだけれど、「これぞトスカーナ」と言わんばかりのコルトーナの風景と、廃屋の改修っていうのがなんとも素敵でノスタルジックで、印象に残った。

昨年、雑誌「フィガロ」の「トスカーナの休日」と題して小都市とフィレンツェの特集を見つけたときには、一目惚れで買って帰り、1年経った今でも時々眺めてはため息をついていたりする。

ずっと憧れていた、好きな街を好きなだけ歩くこと。
語学が全くダメな私にとって、個人旅行は鬼門だったはずなのだけれど。
とうとう、やってしまいました、フィレンツェ母娘旅。

語学の出来る人にはきっとなんでもないことなんだろうなと思う。
でも語学もできなきゃ度胸もない私にとっては、すっごい大冒険。
日本でさえ、自力で旅行できるのは京都ぐらいなものなのに。
しかも、個人旅行を決めた後に、祖父母から脅迫電話がかかってきた。「お前はともかく大事な娘を危険にさらす行為は許さない!お前はそんなに自信があるのかっ?!生きて帰ってこれると思ってるのか!」みたいな。
もう唖然とするしかなく、行く行かないですったもんだ揉めたりもしたので。
とにかく無事に帰ってくることをまずは目標に、調べまくった。
最初はパックツアーを探したのだけれど、連休を狙っていたのですでに航空券の確保ができないという。
自分で探すしかないわけで、まずは航空券の種類からお勉強。
オープンジョーだのストップオーバーだの、PEXだのって、分からない言葉が多すぎ。
探しまくって、予算オーバーだけれども、とりあえず往路:アムステルダム乗り継ぎのフィレンツェ行き→復路:ミラノ発直行便の航空券がやっと取れた。
以前から思っていた「トスカーナの休日」を実行すべく、フィレンツェでずっと過ごすことにした。
次はホテルの予約。
散々悩んで、あるプチホテルに。
更には、フィレンツェからミラノまでの列車も確保しなきゃならない。
日本の時刻表ですら見方の分からない私が、トレンイタリアのHPで、どきどきしながらチケットを予約。

次は日程を決める。

1日は中距離バスでシエナに行こうと決めたので、フィレンツェで観光できるのは正味4日。
地図を眺めながら、何冊も個人旅行用ガイドブックを読み込んで、どうにか日程表を作成した。
美術館の予約もしなきゃならない。
現地で自分が動ける自信がないなら、日本で徹底的に調べて準備していくしかないわけで。

休日はもちろん、仕事で夜中に帰宅したあとも、睡眠時間を削って作業。
こんなに一生懸命になったのは久しぶりだと思う。
具体的にやりたいことがあるって幸せなことだ。
勉強は大嫌いのはずなのに、調べることもたいして苦にならない。

それでも全然準備は間に合わなくて、不安いっぱいのまま日本を発った。
心配していたロストバゲージもなく、アムステルダムでの乗り継ぎもどうにかこなして、小さなフィレンツェの空港に降り立った時は、もう胸いっぱいで。
本当にここはイタリアなのかな、って何度も確かめずにはいられなかった。
朝目が覚めればそこは、天井のない美術館と言われるフィレンツェの街で。
以前にツアーでほんの少し立ち寄っただけのシニョーリア広場が、歩いて3分のところにあったりする。
なんていう幸せ。

1日目は、シニョーリア広場→ヴェッキオ宮→ウフィッツィ美術館→共和国広場のリストランテで食事→サンジョバンニ洗礼堂。

2日目は、ヴェッキオ橋→ピッティ宮殿→パラティーナ美術館がストで休館だった為にボーボリ庭園と衣装博物館などの小さな展示を見て回ることに。
ところがのっけから具合が悪く、真っ青になったまま倒れそうになる。それでも根性で展示を見て、庭園ではかなり高低さのある丘を登り、トスカーナの田園風景そのものな眺めに感動しながら、やっぱり具合は悪い。
ふらふらしながら、夕方ホテルに戻るとそのまま寝込む。
熱も高く、下痢も酷く、意識が朦朧としたままうなされる。
母に「ホットウォータープリーズって言えば分かるから」とお湯を取りに行ってもらって日本から非常食として持ってきたアルファ米のおこわと味噌汁を作ったが、母はともかく私はほとんど食べられなかった。

3日目、本当はシエナに行くつもりで、初日にバスチケットも買ってあったのに。
高熱は引かず、水を飲んでも腹を下す状態。歩くこともままならず、うわごとを口にしていたらしい。「身体が闘ってる…」とか。
とにかく全身が痛くて、細胞が闘ってる夢をたくさん見て、寝ていることさえ苦しくて、なんだかものすごく長い時間だった気がした。
大量に汗をかいて、熱は少し引いてきたのだけれども、やっぱり全く力が入らず動けない。
直前にネットで損保ジャパンの「off」に入ってたので、海外旅行保険の窓口を頼って往診をお願いした。
パラディーニ先生という女医さんにお願いでき、診断は「ウィルス性胃腸炎」とのこと。まあ早い話が食あたりってことだけど。長く生きてきてこれだけ酷い食あたりは初めてで本当にしんどかった。
薬のこととか説明受けながら、ちょっと笑ったのが、食べてよいものの中に「パスタ」が入ってたこと。さすがイタリアだ。そうは言われても、数日はほとんど何も食べられなかったけれど。

4日目は、メディチ家礼拝堂とアカデミア美術館の予約をしていたので、恐る恐る外に出てみる。母に掴まるようにしながら、メディチ家礼拝堂に辿り着く。たった10分くらいの距離がとてつもなく長く感じられる。しかも、やはりお腹に来て、酷い状態だった。
無理かも、と思いながらも隣のサン・ロレンツォ教会とラウレンツィアーナ図書館は見たい。休み休みしながら、図書館を見てものすごく感動する。
でも体力は限界で。身体は違和感を訴えてるのに、そのままリッカルディ宮に行く。さらに北へ、捨て子美術館とアンヌンツィアータ教会に。アンヌンツィアータ教会は、地元の人に愛される、まさに現役の祈りの場。厳粛な空気を味わうだけで、指の先からたくさんの人の祈りが沁み込んでいくようだった。音楽が聴こえたのもここ。結果としてこの旅で一番印象に残る教会となる。
アカデミア美術館の予約をしていたけれども、「もう無理です」と母に訴えホテルに戻る。

5日目は、サンマルコ美術館に行く。ずっと憧れていた、ベアート・アンジェリコの「受胎告知」がどうしても見たかった。これを見ずに帰るのは嫌だった。あたたかく、清らかで、本当に素敵な「受胎告知」だった。
そのあとは、明日ミラノに移動するためにサンタ・マリア・ノヴェッラ駅の偵察に。駅構内の構造を確認して、そのまま帰ろうとするが、ミケランジェロ広場へ行くためのバスがちょうど待っていて、何を血迷ったか、そのままタバッキでチケットを買って乗り込んでしまった。この日は空気が澄んでいて、遠くがよく見えた。もう一度みたいと思っていたミケランジェロ広場、旅が決まってからずっとデスクトップの背景にしていたミケランジェロ広場の夜景写真、まさにそのままの風景(昼だけど)が広がっていた。
ふらふらになりながら、どうにか戻ってくる。その後は帰りがてらサンタ・マリア・ノヴェッラ教会を見学。
胃腸炎は少し良くなりつつあるようだったけれども、何も食べられないので体力が落ち、ここら辺で風邪を引く。
喉が痛い、鼻水が止まらない。ふらふらの身体にはこたえる。
でもウィルス性胃腸炎用に薬を飲み続けているので、風邪薬は飲めず。

6日目は、もうミラノへ発つ日。
朝はサンタ・クローチェ教会へ。たくさんの文豪や芸術家の眠る教会は、荘厳で美しかった。
ミラノへは14:14のESで向かう。
駅までタクシーを呼んだのだけれど、最後まで携帯で会話し続け、運転も滅茶苦茶で酷い人だった。むっとしつつ、これまた高すぎる料金を支払う。
ホテルで呼んでもらったはずなのに、ぼったくり?交渉できる語学力もなく、送迎料金や荷物の追加代金なんかもあったりするので、高くてもし方がないのか。
駅では、アクシデントがあったらしく、ESの到着が遅延しているとのこと。荷物を持っているので神経をすり減らしながら、電光掲示板を睨みつつ時間を過ごす。
それでもどうにか15分遅れ程度で出発した。
前日に駅の下見をしておいて本当によかった。
旅の中で一番緊張したのが、この日。
体調の不安はもちろん、自力でネット購入したチケット(バウチャー印刷しただけのもの)が本当に有効なのかも不安だったし、駅は治安も悪い。大きなスーツケースを抱えて列車に乗り込むのも大変だと聞いていたので、いろんな心配は尽きなかった。
結果としては、一等車を選んで正解だった。
ビジネスマンが多かったので、治安の面での不安はあまりなく、約3時間トスカーナらしい風景を眺めて過ごした。
ただし、ミラノに到着してからがまた問題で。
初めての駅、しかもフィレンツェとは比べ物にならない規模の大きさ。
治安もかなり悪いらしいので、ピリピリしながらタクシー乗り場を探す。
しかも翌日はミラノからマルペンサ空港までシャトルバスに乗らなければならない予定なので、乗り場の確認とチケット確保もしなければいけない。
事前に調べていった通りのところにあったので、ほっと胸をなでおろす。
タクシーも、フィレンツェの酷い運転手とは違い気のよい人で、無事ドゥオモ付近のホテルにチェックインできた。
まだ夕方なので、ドゥオモの周りを散策。
そろそろまともな食事がしたいと思い、ライトアップされた荘厳なドゥオモを眺めながら食事のできるところで、ピザとパスタを食す。といっても、母がほとんど食べて私は少しだけチャレンジといったところ。

最終日、ミラノ発21:40のフライトなので、夕方までドゥオモ付近で観光して過ごす。まずはドゥオモ。ミラノのドゥオモはフィレンツェとは全く異なり、外部だけでなく内部も典型的なゴシック様式で、フレスコ画やモザイクがない代わりに、彫刻とステンドグラスが非常に美しい、なんとも荘厳な教会だった。
その後、スカラ座を見学。といっても、内部見学はお断りだったので、マリアカラスの素晴らしい衣装や昔から使われてきた楽器、オペラで使われた当時の装飾品などを鑑賞する。

時間も込んできたので、タクシーでミラノ中央駅へ。
このときのドライバーさんが、すごく穏やかで優しい人だった。空港行きのバスに乗るために駅に向かうと分かると、気弱にタクシーでも行けるよって営業してきたのだけれど、自分で「タクシーは高いよね…」だって。
ちょっとかわいそうになってしまって、「ごめんねチケット昨日買っちゃったから」と言うと、し方がないねっていう感じで笑っていた。
運転も、イタリアとは思えない思いやりのある安全運転で、ちょっと感動してしまった。ラジオも趣味のよい音楽がかかっていて、かすかに鼻歌を歌うんだけど、私もすてきな曲だなと思って身体を揺らしていたら、ちょっと嬉しそうににっこり笑われてしまったり。荷物をおろす時も、わざわざ歩道まで運んでからおろしてくれて、些細なことなんだけど、がさつな人やお金で態度の変わる人に接することが多い旅の中では、ちょっと癒される瞬間でした。
思わずチップをはずんでしまったくらい。(笑)
別にかっこよかったわけではありませんが。
もっと語学力があったなら、会話してみたかった。

マルペンサシャトルに乗ったら、とりあえずは安心。
JALだったので、アリタリアと違ってショーペロ(スト)の心配もないし。
空港で最低限のお土産を買って、搭乗。
本当に自分の足で、自分の力でイタリアに来れたんだって今更ながら思って、色々な気持ちをかみ締めていた。
体調を崩して酷い目にもあったけれど、それでも全部ひっくるめて、自分たちの旅行だった。
ツアーと違って、自分の足で歩いた場所を忘れることはきっとないと思う。
終わってしまった、と思うとただ切なかった。

でも頑張った、自分。
やれば出来る、実現できる。
こんな私にだって。

次はヴェネチアと、トスカーナの心残り(シエナ・サンジミニャーノ・フィレンツェのパラティーナ美術館etc)を晴らしたい。
職場の人に滅茶苦茶嫌がられながらも、絶対行ってやる!


2007年09月30日(日)
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