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■ ロビンの映画ばかり
今まで印象に残っている映画のタイトルだけでも覚書をしておこうと思って、書き出したメモが出てきた。 そのときの走り書きなので、偏っているけれど、だいたいこんな感じ。
パッチアダムス いまを生きる グッド・ウィル・ハンティング ジャック レナードの朝 聖なる嘘つき ライフ・イズ・ビューティフル アポロ13 プライベート・ライアン マイ・プライベート・アイダホ レオン ショーシャンクの空に レインマン INTO THE WEST(白馬の伝説) シンドラーのリスト ショアー
とりあえず記憶に強く残っているものから並べてみたら、 自分が弱い方向が透けるようで、笑えた。 単純に泣いて癒される映画ではなく、たとえ理不尽さや空虚さであっても、何かが残る。 戦争モノや命を考えるものが多いね。 だからロビンの映画が多くなるのかな。
内容が似ていることもあって、「ライフ・イズ・ビューティフル」と「聖なる嘘つき(邦題)」が並んだけれど、前者は概ね評価が高く、後者はパクリだという声もあり(後者の原作はもっと昔にあったので、パクリではないんだけど)、あまり認められていない。
でも、私の感想はちょっと違うんだよね。
「ライフ・イズ・ビューティフル」は、類まれな天才の物語だと思う。 嘘つきの天才、天下一品のコメディアン。それが、ベニーニの役どころだ。 ホロコースト映画としては異質な彼の明るさが、映画を強烈にするけれども、ある意味で嘘っぽくなってしまう。 演劇的、というか。 演技だから仕方がないのかもしれないが、他の誰にも出来ないことでは、感情移入がしにくい。 気持ちよく騙される側になるのには、私たちはホロコーストについて知りすぎているし。 彼は息子とともに収容所に送られて、それを息子にうまく納得させるために「これはゲームなんだ」と嘘をつきつづけるわけだが、その息子ジョズエがまた子供なのだ。 御伽話のように、都合よく騙され続けてくれる。 確かに、それが映画の鍵ではある。 だが、ジョズエが子供のままで彼の重荷になるだけの存在であることが、この映画をより一層“孤高のコメディアン”ひとりの映画にしてしまっている。また、家族愛と言えばそうだが、家族以外はどうでもよいのだろうか、と思う部分もある。 独りよがりというか、ジョズエが父の苦労を知るのが、父が死んでからというのがまた辛すぎて。 ジョズエが父の嘘を見抜いていて、その上で騙され続けたのなら、もっと深みが出たんじゃないだろうかと思ってみたり。 それも一層辛いけれど、現実の辛さを無視して御伽噺にさせてしまうよりはいいのではないか、と思ってしまう。
「聖なる嘘つき」は少し様子が違う。 凡人ヤーコブは、積極的に嘘をつく気なんてさらさらなかった。 ただ、大事な人たちが絶望から早まったことをしないように、こっそりと、ドイツ人のラジオを盗み聴いた情報(もうすぐロシア軍が救いに来ること)を伝えただけ。 だが、彼がラジオを隠し持っていて情報を得られる立場にいるという噂が広まってしまい、希望にあふれた皆を見て、彼は嘘をつき続ける決心をするわけ。 彼は嘘なんて得意じゃないし、嘘が悪いことだという倫理観もある。 重すぎる嘘なんて、投げ出したかったと思う。 投げ出せなかったのは、彼が勇気があったからではなくて、強かったからでもなくて、抱えていた弱さや恐怖を超えて、希望を持ち始めた人々を裏切りたくなかったから、哀しませたくなかったから。 弱気な、どこにでもいる男が、いつの間にか大ぼらふきを演じなくてはならなくなる。 だからこそ、彼がいとしくてたまらなくなる。
騙される仲間たちは、希望に満ちて、幸せそう。 声を張り上げて明るく皆を笑わせる彼だけが、その幸せには浸れない。 どんなに巧みな嘘であっても、自分だけは騙せない。 ベニーニがジョズエだけを騙せばよかったのとは違って、 正真正銘、彼はひとりぼっちだった。 これ以上の悲劇ってあるだろうか。
彼は収容所に送られる電車から逃げた少女を仕方がなく拾う。 彼女は両親に会うこと、つまり戦争が終わることだけは望みに、生きようとする。 ラジオがあるという嘘を、この少女にもつかなくてはならなくなるんだけど、最後の方で、少女だけが彼の嘘に気づくの。 ジョズエとは違って、辛い現実を知った少女は傷つくけれど、 ヤーコブの重荷を理解した少女が生き残ることが、 結末の苦さを、ほんの少しだけ和らげる。 息子を傷つけずに守ろうとする完全無欠のお父さんよりも、 ぶちぶち不満を言いつつも少女を拾って、少女を傷つけるつもりはなかったけれど結果的には嘘をつき続けられず傷つけてしまったヤーコブの方が、人間くさくていい。
同じく「やさしい嘘」で希望を持たせ続けたいと願った2人の男。 派手な演出もなく、評価もあまりよくないし、日本では小さな映画館でしかロードショーされなかったそうだけれど、私は断然ヤーコブが好きだ。
2002年03月17日(日)
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