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■ 震災から6年。
どうにか論文は終わったんだけど、 解放感が消えて、内容を改めて読むと、落ち込むばかりです。(笑) しょうがないんだけど、でもあまりに高校生の感想文みたい。 もっと専門的な、いかにもな論文って書けないものかしら。 ああ、お勉強が足りないってこと。
6年前のこの日、阪神・淡路大震災。 当時中3だった私は、朝テレビをつけて、すごく驚いた。 刻々と増えていく死傷者の数。 いまだに行方不明者がいること。 けっこうショックだった。
大阪で地震に遭った友人と大学で知り合ったのだけど、 今回の6年目という報道について、 「思い出させるな!」と言ってたのが印象的でした。 そういう感じ方もあるのね。 そのくらい、きつい思い出ってことらしい。 私は、その言葉にはっとさせられた。 だって、全然思いもしなかったことだったの。 体験者ではない私には、やはりそこまで想像できていなかったということだから。
ヒロシマという記憶のされ方についてゼミ論を書いたんだけど、 そのなかで書いたことを思い出した。
「あの地獄は遭った者しかわからない」という言葉を、被爆体験のなかでよく耳にする。なぜなら、あまりに酷い記憶というのは、思い出すときにブレーキがかかったり、冷静でいられなくなったりして、言葉にすると不足感が出てしまうものだから。 その「語りえなさ」は、それ自体、どれほど体験が痛ましかったのか、彼らの人生を強く縛っているのかを語る無言の証言なの。 だから、語り手の沈黙や、言葉につまったりする部分からも 全身で敏感に聞き取ろうとしないと、 被爆証言は、ただの(日本人ってこんなに可哀相な思いをしたんだ)という感情論か、もしくは逆に加害者としての日本人という視点がまるでないと非難され、切り捨てられるか、どっちかになってしまう。 ほんとうは、彼ら被爆者は、「日本人」とくくられる前に、 言われない暴力をうけたひとりの「人間」としての語り…なのにね。
当事者しかわからないという限界があることを、私は知ってる。 それなら、その限界から出発するしか、理解のしようがないわけで。 そもそも他人のことなんだから、全てわかるわけが無いんだもの。
ただ、もし相手のことを解ったつもりでいるのなら、 自分はとても無神経な人間になってしまう。 今回の震災報道だって、一概に良い感情だけをもたらすものではないはずで。 もちろん、あの日のことを忘れ去られるよりはマシ、と彼女は言っていた。 それは私も同意見。 ただきっと、想像することが必要なんだと思う。
―大切な人を亡くしたりした人にとって。 今日はどれほど思い出したくない日なのか。 そのうえで、きっと忘れられない日なんだろうなあ、と。 …想像する。 それはきっと、当事者の圧倒的なリアリティには及ばないけれど、 少なくともそこから出発して得られる、与えられるなにかはあるはずだと思う。
わからなさ、とか。 矛盾とか。 共感できない部分とか。 そういうものに敏感でいたいなあと、漠然と思った。
ちょっとマジメな日記、でした。
2001年01月17日(水)
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