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■ 風琴工房『カスパー彷徨』2回目
日曜日の風琴工房のお芝居の印象が強烈で、今の私に必要ななにかが見つかるような気がして、また行ってしまった。
日曜日より俄然迫力があったような気がする。微妙にセリフの言い回し、表情とか、間の張り詰め方とかが、ちがって、エネルギーに満ちてて、波動みたいなものにのまれるの。 みっともなくボロボロ泣いてしまった。 たぶん、泣くべきじゃないところで泣いてたような気がする。 私の痛いところに重なったとき、我慢できなくなっちゃうので。 受け取る私のテンションの違いもあるとは思うけど とにかくよかったです。 明日の楽日も見たかったなあ。 さすがにビンボー学生にはこれ以上は無理そうです。 台本も買えたので、今度りょうかさんにも読ませよう。 今日なぜ誘わなかったんだ、と残念がってたもんね。
台本。 文字が生きてて、空間がよみがえるので、帰りの電車のなかでぶつぶつ呟きながらずっとトリップしてた。
思いっきり叫びたくなった。 私はあくまで観る側でしかないんだけど、同時に真綿としてだったり、カスパーとしてだったり、カスパーの母だったり、辻だったりして、私もその言葉をかみ締めてたから。 すごくリアル。 自分が作り出した演技じゃないけど、物まねになっちゃうんだけど、 それでもなんだか叫びたくなった。
前からいつかはアップしようと思っていた詩があるの。 「カスパー彷徨」を観て、それと重なって。 もちろん別ものなんだけど、わたしのなかでは、同じツボだったので。 なぜ、いままでアップしなかったのかと言うと、 これは朗読したいタイプの詩なんです。 怖い声のトーンでやるタイプ。 とても好きなだけに、そっちでの表現をしたくて、まだ字ではアップしてないのでした。
彼ら笑う 石川逸子
「この子は手足が長すぎる」 子を食う母 朝に晩にばりばりと子の手足を食う母 血みどろの口と 慈愛の瞳 「わたしはおまえのためを思っている いつもおまえのためを思っている」
子は逃げる 短くなった手と足で子は逃げる 母の沼 どぶどろの匂い放つ 沼から逃れようと もがく 「誰か来て 息子が逃げる どうかあの子をつかまえて」 髪ふり乱し わめく母 したたる涙 子は取り巻かれる おとなしい隣人たちが子を囲み 次第にその輪をちぢめてゆく
「食べられたのはぼくです 流れたのはぼくの血だけなのです」 「悪いのはお前だ」「お前だ」 「ぼくの手足はぼくのものだ ぼくはぼくの手足を守らねばならない」 「それでも悪いのはお前だ」「お前だ」
子はひとりぼっち 味方はない 大勢の手が彼をつかみ またつなぐ 彼を その母の足元近く 灰色のきつい鎖に
「ぼくはあなたを憎む」 「わたしはお前を思っている」 「ああいっそぼくはあなたを殺したい」 「わたしはお前を思っている」 うっとりと母はささやく 微笑みながら近付き ばりばりとこの手足をしゃぶる
子は変わってゆく 朝に晩に手足を食われて子は変わってゆく もう子は逃げようとしない 彼は静かに朝焼けをみつめ じっと一日の終わりを待つ 「わたしの息子 お前はやっといい子になった」 「彼は死んだのです 母さん」 「まあ お前ったらふざけて」 上機嫌に笑う母 俯く子
「ごらん 実にいい風景だ」 「ええ 心あたたまる…」 遠く語り合う隣人 誰も彼も笑っていた 死んだ 或いは死にかかった 子の魂はそっちのけに 笑っていた 実に楽しげに笑っていた
「カスパー彷徨」はいろんなことを考えちゃうお芝居でした。 いまのわたしが考えなくちゃいけないことがいっぱい詰まってたんだと思う。 家族、生と死、未来、過去。正常、異常。自分と他人。
明日の楽日、行きたいなあ。 でも、これ以上行くと、お芝居の空間に依存してしまいそうな気もするので、 現実でもなんとか生きてゆけるよう、ふらふらせずにいたいです。
2000年12月05日(火)
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