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■ 昔の文章、どうしよっかな。
昔の写真が出てきた。 昔の文章も出てきた。 もう、なんちゅうか、昔の自分の「生きてるじたばた」が、妙〜にいとしい。(笑) みっともなくて、笑っちゃうんだけど、それでも今見ると、ある意味一生懸命生きてる。…そう思うな。 また10年くらいしたら、今の自分の卑怯な「じたばた」も、また可愛いもんだと笑えるようになるといい。
私は、泣きたいときは泣きたいよ。 じたばたしてる自分、無理しても笑うほど、自分を欺きたくない。
無理して笑ってる自分が居て、そのときの自分を抱きしめてあげたいと思う。 だけど、いまのままの自分じゃ、まだ無理。 きっと振り払われる。 過去の自分は、そのくらいには負けず嫌いだ。
大切な物語世界に逃げながら、 ずっとじたばた。 そのうち、じたばたに馴れてしまったのかもしれない。 どうせ世界は変わらないのだと、もう思い知ってしまったら、 蜘蛛の巣のなかでもがくのも、バカみたいだと。 死なないともわかった。 このままなら、息が詰まって死ぬほど苦しくはなくて、 自由は利かないけど、我慢しつづけられる程度の許される部分もあって。
人は有り余るものを持ってはいけないのかもしれない。 未来が有り余っていると思うから、失敗できないのだ。 楽になりたいと、生きることさえある意味厭いながらも、 心の底では、自分がいちばん死から遠い存在だと無条件に思い込んでいるのかもしれない。
やりたいことをやれるのは、もしかしたら今日限りなのかもしれないのにね。 誰にも平等に明日があるわけではないのに。
2000年11月11日(土)
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