unsteady diary
riko



 とりあえず、歩きだして。

どっかの誰かに影響されて、レンタル日記のみ、開始。
なにごとも三日坊主の私がいつまで続くやら…。
これまでいろんなところでさまよってた自分の言葉を、どこかに集めてやりたくなったのかもしれない。

いまのところ、誰にも見せるあてなどないけれど、それでも紙ではなくWeb上を選んだのは、どこかで人の目に触れたかったから。
そうやって、こっぴどく露出することで、自分のかたちを確かめたいんだと思う。

最初に読んでほしくて、けれど最後まで見せたくない人たちがいる。
私のだいすきな文章を書く人、ほんとうに自然体で息をしている人。
その姿勢は、価値観は、いつも私を打ちのめす。

いつかは、すでに押し付けてる汚さ以上の、もっとぐちゃぐちゃで腐りきってる自分を、ちゃんと見せられる日が来るんだろうか。
もっとも、見せたところで、相手に迷惑なだけじゃないかって、思わないわけではないけど。

いつだってそんなふうに、独りよがりではた迷惑な文章になってしまわないかって気にしてる。
そんなふうに思ったら、本音のメールなんか出せるわけがない。
手を離したら、終わりだと自分に言い聞かせるけど。
どうやってしがみついたらいいのか、わからなくなりかけている。
どんどん窓が閉じられて、そのすきまから、感じて、切なくなって手を伸ばしたくなって、我に返って、あわててその手をひっこめる。
そんな日々。

なにも神聖視してるわけじゃない。
ただ、どうしようもなく惹かれる、その媚びない姿勢。
だけど、私には好きな人たちにあげられるものなんてなにもない。
惹きつける価値など、そもそもありはしない。
ほんの一時、自信がつきかけたときもあったけれど、どうしてそんな思い上がりをできたのか、もう思い出せないくらい。


変わりたいといいながら、私はありのままのぐっちゃぐちゃの自分を肯定してもらおうと躍起になってるのかもしれない。
「性格が優しい」とか、そういうふうに誉められて、嬉しくないわけがないけど、一方では、それが表面の磨いて繕った自分だと分かってるから、嬉しいぶんだけ恐くなる。
ほんとうの、強情っぱりで甘ったれのどうしようもない自分を知ってほしい。
そのうえで、好きになってほしい。
そうでなければ、いつまでたっても救われないのだ、と。
痛いほど解っているつもりで。
だけど、嫌われてもいいと開き直れるほど、私は潤ってなどいなくて。
すでに渇ききっていて。
眼下にはただ海しかなくって、もっと喉が渇いてあとで辛くなるってわかっててもなお、塩っ辛いその水を口にしてしまう漂流者みたいだ。
目の前の苦しみを癒そうとばかりしていたって、けっきょくは、あとでもっと大きな波にのまれるだけだって、教えてくれるひとが、ちゃんといるのにね。

いろんな人が、ちゃんと私を見ようとしてくれている。
たぶん。
出会って間もないけれど、そう思う。
なのに、なぜ退いちゃうんだろう。
どうしてこんなに臆病になるんだろう。
解りあえてきたような気がして、指先がふれた途端、その手を自ら離してしまう。
見つめ返せないのは、見透かされる気がするから。
これ以上、なにを見せてないというのか、とも思うのだけれど。
きっとまだ、もっとずっと深く私は膿んでいるから。
自分でも意識しないほど、それは深くて、ふと浮き上がってくる断片に、自分でも打ちのめされるほど。
あわててそれを隠して、また、上澄みのところで愛想笑いを。

強く強くつながりたいと願う一方で、相手の姿が近くに見えると突然世界を閉じてしまう…そのくりかえしで。
てんで進歩がない。
そんなんじゃ、見棄てられるって、ずっと焦ってる。
けれど、変われやしない。
すこしずつ、まわりは脱皮してゆくのに。
みにくい毛虫のまんま。

なにも他人を必要としていないわけじゃない。
つながりたいんだ、心の底から。
ただ、その心の底にさえ、自分が自分で、確信をもてないでいるだけで。

どうしようもなく濁っている足もとの世界。


ほんとうは、ひとりで立たなくちゃいけない。
ひとりで戦いに出なくちゃいけない。
愛されたいとばかり泣いていては、誰もふりむかない。
愛せない人間に、愛される資格などないんだから。


こんなふうに王子様を待ってるような自分が嫌だ。
女々しくてとっても嫌だ。
でも、それがきっと本音の部分の、「私」でもあるから。
否定すればするほど、片意地張って生きるしかない。
よけいに苦しくて、引き裂かれて、自分がわからなくなる。

私は女だ。
変えようがなく、すべてが、女だ。
考え方も、愛し方も、そこからはじまる。
強くならなくちゃいけない。
自分の足できちんと立たなくちゃならない。
それだけは、確かで。
そのとき、私は自分の「女」を、どんなふうに肯定してゆけばいいんだろう。

このしゃべり方も、言葉も、声も、しぐさも、実際にはすこしも「可愛くない」自分には似合わないなあって思ってきた。けれど、「可愛くない」自分が、せめて少しでも可愛いと思われるよう、無意識に望んできた結果として現在の「私」があるのだとすれば、それを変えようとするのは、はたして正しいんだろうか。

正しいとか正しくないとか、かっこいいとか、かっこ悪いとか、そんなことばかりで、どこまでいっても、「自分自身がどうしたいのか」だけがさっぱり見えきやしない。
してはいけないことは、わかってる。
正論だっていやっていうほど、わかってるつもりで。
ただ、自分がそこにいない。
核のないまま、どうやって変わろうというんだろうか。

それなら。
私にとって気持ちのいい状態ってなんなんだろう。
はっきりしてるのは、毎日こんなふうに鬱々としていたくなんてないということ。
負の感情だね、これは。
一方では、なにかしたいという正のエネルギーが、どこにもないような気がする。
からっぽで、刺激が肌の表面でしか受け止められない人間なのかもしれない。
いまが、ではなくて、ずっと。
それが、「私」なのだとしたら、変わろうだなんてよく言えたもんだ。

前を向きたい。
うつむくのをやめて。

でも、前ってどこにあるんだ?
どっちに歩き出せばいいんだろう?
誰も教えてくれるわけにはいかないんだ。
だいすきな人とでも、その道は共有はできなくて。
置いてゆかれたくなかったら、必死で自分の道を見つけるしかない。
なのに、私は、ずっとこの狭い部屋のなかで、ぐるぐる廻りつづけている。
そのうち、自分自身の排泄物に埋もれてしまうような気さえ、してくる。


2000年11月01日(水)
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