ビー玉日記 | きのう もくじ あした |
2004年04月19日(月) 孤独のボーダーライン 作家の鷺沢萠さんが亡くなったことを、今日人から聞いて知った。 11日だというので、もう一週間も前のことになる。 (イラクの人質事件に食傷気味でしばらくニュースを見ていなかった。) 鷺沢さんの作品はそれほどたくさん読んでいないので知ったかぶりはとてもできないけど、文章に漂う空気が好きだった。 たぶん私が鷺沢さんの小説に惹かれたのは、主人公を通じて描き出される作者自身の考え方だったりモノの見方だったりに自分に共通するものを感じたからだと思う。 人から見てどう見ても成功している人が黙って自ら命を絶った時、ニュースでは「思い当たる原因はない」と首を傾げる周囲の人のコメントを流す。 今回もそうだったらしい。 感覚的なものだけど、私には理解できる気がする。 みんな「彼女に悩みはなかった」と思ってるけど、本当にそうだろうか。 早い時期から小説家として成功した人の心の内が他人からそんなにシンプルに理解できるとは思えない。 誰にでも大なり小なり悩みはある。 中には人には理解できないものだって。 自分が幸せだということを知っていても、いつでも駆けつけてくれる友人に恵まれていても、自分の心のどこかにある欠けた部分を感じるだけで空虚な気分になることがある。 それがタイミング悪く体調不良や生理前や忙しすぎて疲れきった時や悪いことが重なって落ち込んだ時だったりして、いろんなことを考え過ぎて、ふっと魔が差したような感じで(たまたま着ていたバスローブの紐とかタオルとかが目に入って)、「首に巻いてちょっと体重かけたら楽になったりする?」とちょっと試してみたつもりで運悪く本当に死に至ってしまったとか、そんなことだったんじゃないんだろうか。 誰にでもありうる落とし穴みたいな出来事なのでは。 恋をしている時でも仲間と騒いでいる時でもどこか第三者としての視点から離れられない自分を感じてしまう。 たぶんこれ以上何かを望んだら贅沢だと思っても、いつも何かが足りない気がしてしまう。 鷺沢さんがそうだったかどうかはわからないけど、少なくとも私にはそういうところがあって、時々考える。 人間って誰と一緒にいても孤独で、淋しい瞬間がある。 でもそういうマイナスな感情に耐えることも、楽しい時に十分楽しんだり、人に対してやさしい気持ちになるためには必要だってこともわかってる。 弱さに耐えられる強さを少しずつでも身に付ける努力だけはしようと思う。 鷺沢萠さんが全ての悩みから解き放たれて天国の生活に馴染めますように。 |
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