ビー玉日記
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2004年02月25日(水)  二月考

このところすっかり暖かくなって、春めいてきた。
だけど考えてみれば、今はまだ2月。
この暖かさはまだこの時期に似つかわしくない。

2月は、もっとキンと冷えた冬の続きのイメージ。
遡れば、教室の石油ストーブ、廊下の冷たい空気。
カーテンの向こうの薄明かりに雪の予感。
街路樹の根元の霜柱。
薄曇の日々と久しぶりに晴れた日の太陽の温もり。
梅の花の赤と白とほのかな香り。
3月を待つ雛人形と桃の花。

寒いのは苦手だけど、ないと物足りない。
やっぱり温暖化なのかな。
最近、本当の寒さは、子供の頃に過ぎてしまったような気がする。



覚書
人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし。(ヨハネ福音書)

「女の一生 二部・サチ子の場合」(作・遠藤周作)を読んでいる。
この前には同じく遠藤氏の「海と毒薬」を読んだ。
最近人の生死とか宗教観について考えるのはそのせい。

極限状態までいくと、私はどうなるだろう。
自分に甘い私なんかは「もう限界」と日々弱音を吐いているけど、これらの本を読むと、人間の限界ってそんな甘いもんじゃない、そもそもどこまでが極限なのか、と思う。
今日は電車の中でコルベ神父のアウシュビッツ収容所生活の最終章に至り、不覚にも涙腺を緩ませた。
理由はわからない。
私がそこで感じた感情は悲しみでも怒りでも哀れみでもない。
キリスト教の言葉を借りるなら、それが愛なのかもしれないけど、コルベ神父が示したような愛ではない。
それでも、そこから何かを感じ取れるものがちゃんと自分の中に存在していることがわかってよかった。

自分自身が追い込まれた状態にあっても、他人のために祈ることが私にできるだろうか?
人間の悲劇や愛憎にかかわらず、自然はいつも偉大で美しい。
その光景が頭の中ではっきりとしたビジョンとして見えてしまって、それが悲しい。
夕焼けに染まるとてつもなく広い空。
その下でどんなことが起こっているとしても、美しいものは美しい。

神様は、本当にいるのか。

「海と毒薬」でも「女の一生」でも出てくるテーマ的な言葉だけど、私の考えでは、宗教的な神様というものは一先ず置いておくとして、人間の想像を越えた大いなる力のようなものは存在すると思う。
言葉で例えるなら、奇跡とか運命とか、そのようなもの。
それを心の拠り所とすることはないけど、そういうものがあることは信じる。


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