うさぎ日記 DiaryINDEX|past|will
昨年10月脳梗塞で倒れて入院された旦那さんを自宅で介護する知人に道で出会った。 その後胃ろうの手術を受けられた旦那さんは、現在介護度5で、ベッドで寝たきりだと、伺っていました。 私の顔を見て、奥様は 「デイへ週二回行ってくれることになったのよ〜。」 と、ふーっと何とも言えない美しい頬笑みを浮かべられた。 「良かったですね〜。」 と、言った私の顔には家族を介護する者同士には通じるものが現われていたのではないでしょうか。 「最初、すごく嫌がったのですよ。 でも、行ってみたら楽しかったらしくて・・・。」 「誰でも、そうみたいですね。」 お陰で、自分を取り戻せる時間ができた。 お互い頑張りましょうね。 と、励まし合って別れた。 「デイへ行ってくれることになった。」 と、言いだした時にふーっと花が開くように浮かんだ、ぞっとするくらい美しい頬笑み。 私も、たぶん、母がデイへ行くようになった、とか、 ショートへ行くことになったと、ひとに話す時には、 そのような微笑を浮かべていたのでしょうね。 精神科医の中村稀明先生は、 天明の飢饉、沖縄戦、満州引き揚げ、極限状態で、子殺しをした親が美しい微笑を浮かべたという記録に対して、 極限状態で精神機能が低下し、個体保存の本能が母性愛、父性愛に打ち勝って短絡的な行動をとらせ、「もはや足手まといがなくなって、これからは自分も少しは楽ができる。」と、いう満足の笑みなのだ。 と、考察されています。 そして、 「こうした極限状態におかれた場合の人間の反応は、時代、民族を超えて不変なものであろう。」 と。 個体の耐性は人様々なので、同様な状況でも、全ての親が子殺しをするわけでもない。 が、極限状態が無ければ、子殺しをした親も子殺しをしないでもすんだのではないだろうか。 介護の場合は、何が極限状態を生みだすのだろうか。 御意見ご感想はこちらへどうぞ
桃青
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