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 銀の森の少年/リチャード・フォード

内容(「BOOK」データベースより)
愛情あふれるアナグマ夫婦に育てられた人間の子ナブは、銀の森の一員として成長した。彼は森の救い主として、金髪の少女ベスを伴い、賢く勇敢な動物の仲間と小妖精王国への冒険に旅立つ。不思議な宝ファラドーンを手に入れれば、森を破壊し動物たちを苦しめる"大いなる敵"に勝つ方法が分るのだ。人と自然との関わりを感動的に描き、生きることの喜びを感じさせる長編。


主人公のナブは、赤ん坊のときに銀の森に捨てられた人間の子どもで、アナグマのブロックとタラに育てられる。銀の森は動物たちがきちんとした社会を作っており、長老とも言うべきフクロウが、ナブをここで育てることは、小妖精王(エルフロード)も認めている、新しい歴史の始まりであるとかなんとか・・・。そんなこんなで、その新しい歴史の始まりの時が来て、ナブはエルフロードのもとに赴き、自分の使命を知る。

動物ものは好きだが、動物が主人公の話というのは、どれもこれも人間は邪悪なものとして描かれる傾向にあるようだ。これもまた例外ではなく、人間(アーキュー)は敵であるという設定のもとに描かれている。

この本がほかのそういった本と違うのは、森の動物たちと人間が、非常に密接な関係にあるということだろうか。人間との接触が頻繁にある。そして、エルフロードが語る、宇宙の始まりから天地創造、生命の誕生、善と悪の戦いといった物語が、 『指輪物語』 に酷似していることだ。

『指輪物語』での指輪にあたる「力」の象徴は、ここでは「論理の種」と呼ばれるもので、3人のエルフの王たちに授けられるのだが、これを悪の勢力が奪うという筋書きも、指輪戦争以前のことが書かれている 『シルマリルの物語』 などを読むとわかるが、やはり「指輪」にそっくりだ。堕落したエルフがゴブリンになるとか、悪の王が一度は追放されたが、次第に勢力を取り戻し、大々的な戦いになるなどというのも一緒。

おそらく、アナグマやウサギ、キツネといった動物たちは、「指輪」のホビットやドワーフなどという種族に相当し、長老格のフクロウは、ガンダルフなどの魔法使いといったところだろうか。やはり「指輪」を真似ているのかとも思うが、唯一違うのは、「指輪」ではのちに中つ国の王となる人間が、ここでは敵であるというところだ。

しかし敵であるはずの人間であるナブが、今後どういった役割を果たすのか、「指輪」と同様、のちには偉大な王になるのだろうか。そんな行く末が興味深いが、イギリスの森というのは、誰しもそんなような物語を考えずにはいられないような、不思議な力があるのかもしれないなと思う。やはりこの作家はアメリカ人ではないと納得する部分だ。

読了し、全体としてそれなりに面白く読めたとは思うが、やはりどうしても「指輪」と比較してしまうので、それに比べると穴が目立つ。

第一に、主人公ナブが危険な冒険をする必然性がない。「指輪」のほうは、指輪戦争のもとである力の指輪を「滅びの山」の火口に投げ入れなければ、冥王サウロンに世界は滅ばされてしまうので、どうしてもそこまで行かなくてはならない。

それだって、大鷲の王、風早彦グワイヒアが途中まででも運んでやればいいのになどと思うくらいなのだが、こちらは3つの「論理の種」を集めればすむわけだから、何もいたいけな少年少女や動物が、危険な旅をしなくてもいいじゃないかと思ってしまうのだ。いくら神に選ばれた少年だと言っても、種を持っている力のある3人の王(森、海、山)が、少年のところに来たっておかしくはないだろうに・・・。

などと考えてしまうと話は成り立たなくなるのだが、こんなふうに納得できない部分は多い。そういう点で言うと、「指輪」には穴がない。本当によく考えられ、詳細に作られていると、また新たに感心する。

それと、「指輪」の世界はトールキンの作り出したオリジナルの世界で、文明もまだそれほど発達していない。だから剣や弓、手作りの武器で戦うのもわかるし、不思議なものや生き物がいても、何の疑問もない。

しかし、『銀の森の少年』のほうは、車も走っているし、銃もある。ナブと生涯添い遂げることになっている少女ベスは、ジーンズまではいている。そして、作者は明らかに「地球」であると断言しているから、現在に近いこの地球上の出来事ということになる。

すると地球を作ったとされる善王アシュガロスは全知全能の神で、悪王ドレアグは悪魔か?と、妙に宗教的になってしまうので良くない。もっとも悪魔というのは、もともと天使であったわけだから、神とはイコールにはならないのだが。

けれども太古の地球の話は、ほとんどキリスト教的で、何ら新しいところがない。ドレアグという存在が、「指輪」のサウロンのようなものとすれば、旧約聖書と『指輪物語』の合体といったところだろうか。

『指輪物語』を引き合いに出すのはフェアではないかもしれないが、どう見ても「指輪」を意識しているとしか思えないし、トールキンが「指輪」のベースにしたケルト神話なども含まれているようだから、比べたくなるのも無理のない話なのだ。

何よりまいったのは、作者が動物や自然が好きというわけで、そうした描写が異常に多いこと。自然の美しさは、どれだけ書いても言い尽くせないものがあるとは思うが、これはファンタジーであると同時に冒険小説でもあるわけだから、いちいちそれを語っていたのでは、なかなか先に進まない。そういった自然の描写が減ったなら、あっという間に終わってしまう冒険談だ。一方で、そうした描写が詩的で美しいとも言えるのではあるけれど。

ところで、ひとつ疑問がある。ここまで動物や自然を美化し、人間を悪役にしたからには、作者はベジタリアンなんでしょうね?ちなみに、動物の友だちになれる良い人間は「エルドロン」といい、これもまた「指輪」に登場する裂け谷のエルフ「エルロンド」のアナグラムかと・・・。

2004年11月13日(土)
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