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 ビッグフィッシュ―父と息子のものがたり/ダニエル・ウォレス

内容(「MARC」データベースより)
病気が進行して、やがて父はただの人となった。仕事もなく、話すこともない父について、何一つ知らないことにぼくが気づいたのは、その時だった。豊かなアラバマの自然を背景に、父と子の絆を描いたおかしくて切ない物語。


映画化された、ダニエル・ウォレスの『ビッグフィッシュ』を読み終えたが、死にゆく父親とのまじめな話(父親はジョーク好きで、最後まで息子に真面目な顔を見せなかったのだが)と、父親が主人公のホラ話とが交互に書かれている。

この父親と息子が、ウォレス自身のことなのかどうかはわからない。どこにも自分のことであるということは書いてないし、解説などでも触れていない。全くのフィクションだとしてもおかしくはないが、親を描く場合には、どうしても自分自身の親のイメージは投影されるのではないかなと思う。

ウォレスの文章は、あまりにもスルリと通り過ぎてしまい、脳が文字の意味を認識する前に、字面だけで進んでいってしまうので、途中で何度も戻って読み返さなくてはならなかった。これは一体どういうことだろう?

たしかに、大きな事件が起きるわけでもなく、ホラ話もかわいげのある話で、特にびっくりするようなことでもない。全体的に宙に浮いているような感覚の中で、ただひとつ、父親の死だけは事実なのだ。最期のときも、あれは真実なんだろうか?これもホラ話なんだろうか?という疑問を残して終わる。

全体的に、映画的な作りじゃないかと思う。話の中心は父親なのだが、今現在の父親と、若い頃のドン・キホーテのような父親とが交互に現れてくるので、あちらこちらに話が飛んで、時折、何の話してたんだっけ?ということもしばしば。

映画は見ていないが、映画会社の人が絶対にお薦めだと言っていた。この本に関しては、映像で見たほうがいいんじゃないかと思える。実は、次に読む予定の『西瓜王』も同じスタイル。

私は、ちゃんと順を追って書かれた作品のほうが安心して読めるのだが、こういうスタイルもあるのか・・・という感じ。「父親の死」というテーマは個人的には非常に弱いテーマなのだが、その悲しみをあまり表に出さず、むしろ父親の類まれなキャラクターに焦点をあてて書いているのが、しめっぽくならずにすんでいる要因かもしれない。これは泣くかな?と思っていたのだが、なんとなくすがすがしい気分なのだ。このお父さんは、なかなかたいした人物だと思う。

最後に、「父親として何か教えようと心がけてきたつもりだが・・・うまくいったんだろうか、どう思う」と胸のうちを問いかけるのだが、それもまた謎の中に消えていく。結局、息子にとって、父親はあまりにも謎だった。だから答えられなかったのだ。私にとっても、父は大きな謎のままだ。考えてみれば、父の何を知っているというんだろうか?

2004年09月13日(月)
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