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■ ハッピー・ハント!/サラ・ムリノスキー
内容(「MARC」データベースより) 「男にもてあそばれる人生なんて、まっぴらゴメン。」 ジャッキー・ノリス、花のトゥエンティ・サムシング(20ウン歳)、都合のいい女から卒業しました。おかしくて、せつなくて、小生意気な明るい快作。
この本には、副題に「ちりちりアタマのジャッキー・ノリス、恋の狩猟紀行」とある。この手の本にはいつも、なんで、なんで、こんなタイトルつけちゃうんだろう?と、憤りを感じる。
原題は 『Milkrun』 といって、全然違うもの。「Happy Hunt!」で検索したって、出てこない。たしかに主人公のジャッキーは天然パーマでちりちりアタマなんだけど、それが深刻な悩みになっているわけじゃないし、恋愛の障害になっているわけでもない。内容だって「紀行文」なんかじゃない。こんな副題は余計なお世話って感じだ。これって、翻訳者の責任?それとも、出版社のせい?
こういう、いわゆる「BJ系」の本て、内容はすごくいいのに、日本語のタイトルがへんてこなものに変えられていたりして、ものすごく損をしているようなことがある。そもそもこういう本が、文学的で、かつまた哲学的な内容だとはいい難いけれど、ことさら軽薄なタイトルにしなくたっていいんじゃないかと。いわゆるロマンス本とは違って、これはこれで、いろいろと哲学的なんだから。
たしかに、この主人公ジャッキーは、「ボーイフレンドが欲しい〜!」と叫んでいるし、毎夜のように、オシャレをしてバーに男を探しに行く。そういう女の子は、なにもジャッキーだけじゃなくて、都合よくふられてしまった女の子は、皆そうなってしまうってわけ。
でも、ふられたことで、しっかり学習もした女の子たちは、どんどん見る目を養っていく。多少の間違いはあったにしても、それで世をはかなんで・・・という後ろ向きの人生は送らない。そういうところが、この手の「BJ系」の小説のいいところ。ほんとは死ぬほど辛い思いをしているのに、それをバネにして、強く生きていく姿って、ウツクシイ。
この本が唯一ほかと違うところは(今まで読んだ「BJ系」の本の中で)、ゲイの友だちが出てこないところ。それって、舞台になっている場所柄というのもあるかもしれない。ロンドンだったり、カリフォルニアだったりすると、必ずゲイの友だちが出てくる。
でも、ここでもすごくいい女友達がいて(やな奴もいるけど)、ほんとにこんな女友達っているんだろうか?と、今回も疑問を感じてしまった。こういう女友達がいたらいいなという作家の希望が書かれているんじゃないだろうかと。
男ができるまでは、だいたいいい友達なんだけど、男ができるか、結婚するかしてしまうと、女は変わる。友だちかどうかという判断は、男ができてからするべきだと痛感する。それまでの関係は、男ができるまでの、うわべだけの付き合いだと思っても、過言ではないかもしれない。
2004年06月04日(金)
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