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■ シービスケット―あるアメリカ競走馬の伝説/ローラ・ヒレンブランド
Amazon.co.jp その馬はまったく馬らしくなかった。体高はやや低く、骨張った膝と曲がった前脚を持つその馬は、サラブレッドというより牧牛を追うポニーといった印象であった。ところが、見かけほど当てにならないものはない。この馬の才能は「その大部分が精神力にある」とファンの一人が書き記している。作者のローラ・ヒレンブランドは、『Seabiscuit: An American Legend』で文化的偶像となった馬の物語を描いた。 シービスケットは、それぞれがまったく無縁と思える3人の男たちに出会うまで、無名の三流馬に過ぎなかった。その男たちとは、かつて「馬の時代は終わった」と宣言した自動車王で馬主のチャールズ・ハワード、「馬と神秘的な交信を行う」調教師のトム・スミス、そして穏やかな態度と角砂糖を使って駄馬だったこの馬を手なずけた落ち目の騎手、レッド・ポラードである。ヒレンブランドは、初期の調教時代から記録破りの勝利を収め、深刻な怪我から「ホース・オブ・ザ・イヤー」に選ばれるまでの「チーム・シービスケット」の浮き沈みや、ウォーアドミラルとの名高いライバル対決を詳細に描いている。また、1930年代の競馬の世界で見られた、西部の馬について報じる紳士気取りの東部のジャーナリストや、優れたサラブレッドの大衆的な魅力から、ゴムスーツを着てサウナに入ったり、強力な下剤やサナダムシまで用いる旗手たちの過酷な減量法についても述べている。 本書の中で、ヒレンブランドは素晴らしいシーンを描きだしている。トム・スミスにとってヒーローであり、伝説的な調教師であるジェームス・フィッツシモンズが馬勒を押さえるように指示し、馬に鞍を着けるときにスミスの目に浮かんだ涙。数週間前のレース中の事故で胸を押し潰され、重傷を負ったレッド・ポラードが、病院のベッドでサン・アントニオ・ハンディキャップ戦の模様をラジオで聴きながら「行け、ビスケット! 負けるな!」と盛んに声援を送る姿。試合後、優勝したシービスケットがカメラマンにむかって幸せそうにポーズを取る場面。シービスケットが猛烈なスピードで自分たちを脅かして嘲るため、シービスケットと同じレースに出場するのを嫌がるほかの馬たち。 時に彼女の散文的な文章は批判の対象になるが(「彼の歴史は吹雪の中に現れた天空の蹄の跡だ」、「カリフォルニアの日差しには、衰え行く季節の白目製の円柱が含まれている」など)、ヒレンブランドは本書を愉快な物語に仕上げている。最初から最後まで、この『Seabiscuit』はおすすめの1冊である。(Sunny Delaney, Amazon.com) 出版社/著者からの内容紹介 ニューヨーク・タイムズベストセラー6週連続第1位となった感動のノンフィクション 世界恐慌に苦しむ1938年、マスコミをもっともにぎわせたのはルーズベルト大統領でも、ヒトラーでも、ムッソリーニでもなかった。ルー・ゲーリックでもクラーク・ゲイブルでもない。その年、新聞がもっとも大きく紙面を割いたのは、脚の曲がった小さな競走馬だった。馬主は自動車修理工から身を起こした西部の自動車王、チャールズ・ハワード。謎めいた野生馬馴らしの過去を持つ、寡黙な調教師のトム・スミス。片目が不自由な赤毛の騎手、レッド・ポラード。馬の名は、シービスケット。これは、悲劇の名馬と男たちの奇跡の物語である。
ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストを見て、ずっと気になっていた本なのだが、競馬の話か・・・と、読むかどうか迷っていた。先に映画を観てかなり感動したので、やっぱり原作を読んでみようと思った。
先に映画を観てしまうと、イメージが固定されてしまって、原作の持つ本来のイメージからかけ離れてしまうことが多いが、これに関しては、映画のイメージを思い浮かべながら読むほうが、さらに感動が増すという、特殊な一例かもしれない。
なにしろ競馬のシーンがたくさん出てくるので、やはり競馬の知識は多少なりとも必要だろう。例えばラチ(コースの内側にある柵)などという競馬用語いろいろも出てくるし、完全に競馬に無知だった場合、いきなり本を読むと理解できない部分もあるかもしれないが、映画を観ていれば、その状況は一目瞭然なわけだから、競馬を知らなくても十分理解できるだろう。
かといって、競馬そのものの話というわけでもないので、競馬に詳しい必要はない。少なくとも、テレビの競馬中継で、1レースでもいいから目にしていれば、話はわかりやすい。
映画のほうは時間の都合もあるので、だいぶ省略も多かったし、本に書かれてある事実(これはノンフィクションなので、全て実際の出来事)とは違う部分もある。本のほうは感情を抜きにして、詳細に事実が描かれているので、かなり読み応えがある。それゆえに、馬と人間が一体になって、挫折を繰り返しながら苦難の勝利の道へと進んでいく様が、じわじわと感動を生む。
レースの模様も、文字で競馬の臨場感を感じられるとは、思ってもいなかっただけに(映画のほうは迫力満点!)、その盛り上げ方には舌を巻いた。スタートしてからゴールするまでのドラマが克明に描かれていて、その間に胸が熱くなり、涙が浮かび、叫びだしたいほどの気持ちにさせられる。
この本1冊で、何度泣いただろうか。それも半端な涙じゃない。単なる一頭の馬、一人の人間というレベルではなく、大不況にあえぐ大勢のアメリカ人の、絶望と夢と希望とが交じり合って、予想以上の感動を呼び起こす。
だから、馬が怪我をしても、旗手が骨折をしても、勝利を掴み取るまで死に物狂いでがんばる姿というのは、彼らに「失敗したっていい。あきらめるな!」という大きな希望を与えるのだ。非常にアメリカ的な話だとは思うが、馬も旗手も調教師も、本当に、本当に、がんばるのだ。そのがんばりは、もう賞賛するしかないし、またそこにある馬と人間、あるいは人間同士の信頼というものが、世の中のことは何も信用できなくなっているといった人々に、再び何かを信じる気持ちを起こさせる、まさに奇跡の物語なのだ。けれどもそれは、偶然の賜物ではなく、それぞれの努力の賜物、全力を尽くしたものが勝ち取る奇跡だということが、感動を生む。
それにしても、旗手とは大変な仕事である。常に体重管理をしていなければならないし、そのための苦労は並大抵の苦労ではない。私のダイエットなど、はるかに及ばない。しかし、彼らはプロであり、とにもかくにも馬に乗りたい、馬に乗ってゴールをトップで走り抜けたいという気持ちが、過酷なダイエットをものともせず、努力に努力を重ねているのだ。その結果、気を失って落馬して命を落とすことだってあるのに。彼らのストイックな精神は、その半分でもいいから見習いたいところだ。
シービスケットに騎乗するポラード役のトビー・マグワイアは、実際に10キロ減量したらしい。彼もまたプロなんだなあと感心したエピソードであった。
2004年02月29日(日)
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