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■ 緋文字/ナサニエル・ホーソン
緋文字 角川文庫/ナサニエル ホーソン (著), Natheniel Hawthorne (原著), 福原 麟太郎 (翻訳) 内容(「BOOK」データベースより) 十七世紀のボストン。戒律の厳しい清教徒社会で、一人の女が広場のさらし台に姦通の罪で立たされていた。罪の子を胸に抱いたヘスターは、生涯、その胸に"姦淫"を意味する赤いAの字を縫いつけねばならないといいわたされる…。ヘスター、彼女と姦通して苦悩する若い牧師、裏切られて復讐に燃える夫の三人の姿と心理を鋭く追求し、光と影を交錯させながら人間の悲哀を描いた傑作。 ※画像は原書 『The Scarlet Letter』 (Dover Thrift Editions)
●プロフィール
Nathaniel Hawthone (1804-1864)
アメリカの作家。マサチューセッツ州セイラム生まれ。17世紀ニューイングランドの魔女裁判で有名な清教徒を祖先に持つ。4歳で父を失い母方マニング家の世話に。幼いときに父を亡くし、暗く沈む母らとともにおじの家に寄宿して、屈折した子供時代を送ったホーソーンは、1つの価値に収斂しない奥深い洞察を繰り広げる。ボードン大学同級生にロングフェローやのちの大統領フランクリン・ピアスなど。38歳で結婚。メルヴィルに「アメリカのシェイクスピア」と讃えられる。ピアスと旅行中、死去。
『緋文字』執筆までは短編を書きつづけていた。(短編集『トワイス・トールド・テールズ』1837年、『旧牧師館の苔』1846年、『雪人形』1851年、に収録)その後『七破風の館』(1851)、『ブライズデイル・ロマンス』(1852)、『大理石の牧神』(1860)と長編に比重が移動。
●作品解説
The Scarlet Letter (1850)
この物語には「税関」(The Custom-House)と題された長い序文がついている。このなかでホーソーンは、『緋文字』を小説として書く経緯を自伝風に説明する。ピューリタニズムの影響がまだわずかに残っていた当時のアメリカでは、虚構は害悪と考えられ、小節家はまともな職業とは思われていなかった。その頃ホーソーンは税関の官吏として手堅い職についていたが、大統領の交代とともにその職を奪われる。だがその直前、税関の暗い一室で緋文字が縫い付けられた布と資料を発見し、彼の想像力は一挙に飛翔する。もちろんこの部分は虚構だろう。だが社会も人の心も、じつは言語による大がかりな虚構であり、そのリアリティーは、想像力によって精緻に織り成される文学という虚構によって再─現前されるものであることが、序文と本文の相互照合的な読みによって明らかになる。
やっと読み終えました。 読み始めたときに言いましたが、訳が小難しくて、ものすごく読みにくかったです。いくつか訳があるので、他の版で読めばまた違うのだろうかとも思いますが、今のところ再読する気にはなれませんね。(^^;
「税関」も最後に読みましたが、なるほど、ここでこの話は事実に基づく本当の話なのだと前もって言っているわけなんですね。
しかし、上の解説にあるように、「もちろんこの部分は虚構だろう。だが社会も人の心も、じつは言語による大がかりな虚構であり、そのリアリティーは、想像力によって精緻に織り成される文学という虚構によって再─現前されるものであることが、序文と本文の相互照合的な読みによって明らかになる」なんてことは全然考えませんでしたね。ただ読みにくいなあとだけ。
というわけで、文字を読んでいてもなかなか頭に入ってこず、表面だけを読んだという感じです。だから、表面的なストーリーしか追えませんでした。
この時代のアメリカの清教徒たちは、クリスマスを祝うことも禁じられていたそうなので、かなり厳しい状況にあったことはわかりますが、ヒロインのヘスター・プリンの潔さに比べて、一緒に罪を犯した(この罪は一人では犯せませんからね)、牧師のディムズデイルが、非常に情けなく思えました。牧師という立場上、仕方がなかったのかもしれませんが、自分は関係がないという態度をとられたら、私だったらそこですっかり醒めてしまうでしょう。彼は彼なりに苦しんで、そのために死に至るわけですが、「何があっても守ってくれる」という男性像を求めている私には、ちょっと許せないかも。
逆に、ヘスターの夫であったチリングーワスの行動は、まだ理解できます。妻を取られたわけですから。しかも妻ひとりが罪人扱いされているという状況ですし。しかし、表沙汰にはせず、じわじわと責めるのが(読んでいて、責めているとは思っていなかったんですが、責めていたんですね)気色悪いと言えばそうなのかも・・・。船に乗る計画のところでは、なんてしつこい奴だ!と思いましたが。
結局、この元夫も、ヘスターを助けるどころか、自分には一切関係のないこととしているわけですから、どっちもどっちなんでしょうが、一応、ちゃんとした夫だったわけですから、人間的に好きではないけれど、被害をこうむったチリングーワスのほうを弁護せざるを得ないですね、私は。
会話部分が「パールちゃん、お前さん、いけないよ。およしなさい」なんて調子なので、ずっこけてしまって、全く入り込めませんでした。もっと深く読み込むべきなんでしょうが、だめでした。
(この感想は「読書会」への文章から引用)
2004年02月28日(土)
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