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 第130回芥川賞受賞二作品

『蛇にピアス』/金原ひとみ
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ピアッシングや刺青などの身体改造を題材に、現代の若者の心に潜む不気味な影と深い悲しみを、大胆な筆致で捉えた問題作である。埋め込んだピアスのサイズを大きくしていきながら、徐々に舌を裂いていくスプリットタン、背中一面に施される刺青、SM的なセックスシーン。迫力に満ちた描写の一方で、それを他人ごとのように冷めた視線で眺めている主人公の姿が印象的だ。第130回芥川賞受賞作品。

顔面にピアスを刺し、龍の刺青を入れたパンク男、アマと知り合った19歳のルイ。アマの二股の舌に興味を抱いたルイは、シバという男の店で、躊躇(ちゅうちょ)なく自分の舌にもピアスを入れる。それを期に、何かに押されるかのように身体改造へとのめり込み、シバとも関係を持つルイ。たが、過去にアマが殴り倒したチンピラの死亡記事を見つけたことで、ルイは言いようのない不安に襲われはじめる。

本書を読み進めるのは、ある意味、苦痛を伴う行為だ。身体改造という自虐的な行動を通じて、肉体の痛み、ひいては精神の痛みを喚起させる筆力に、読み手は圧倒されるに違いない。自らの血を流すことを忌避し、それゆえに他者の痛みに対する想像力を欠落しつつある現代社会において、本書の果たす文学的役割は、特筆に価するものといえよう。弱冠20歳での芥川賞受賞、若者の過激な生態や風俗といった派手な要素に目を奪われがちではあるが、「未来にも、刺青にも、スプリットタンにも、意味なんてない」と言い切るルイの言葉から垣間見えるのは、真正面から文学と向き合おうとする真摯なまでの著者の姿である。(中島正敏)

出版社/著者からの内容紹介
ピアスの拡張にハマっていたルイは、「スプリットタン」という二つに分かれた舌を持つ男アマとの出会いをきっかけとして、舌にピアスを入れる。暗い時代を生きる若者の受難と復活の物語。第130回芥川賞受賞作。

『蹴りたい背中』/綿矢りさ
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『インストール』で文藝賞を受賞した綿矢りさの受賞後第1作となる『蹴りたい背中』は、前作同様、思春期の女の子が日常の中で感受する「世界」への違和感を、主人公の内面に沿った一人称の視点で描き出した高校生小説である。

長谷川初実(ハツ)は、陸上部に所属する高校1年生。気の合う者同士でグループを作りお互いに馴染もうとするクラスメートたちに、初実は溶け込むことができないでいた。そんな彼女が、同じくクラスの余り者である、にな川と出会う。彼は、自分が読んでいるファッション雑誌のモデルに、初実が会ったことがあるという話に強い関心を寄せる。にな川の自宅で、初実は中学校時代に奇妙な出会いをした女性がオリチャンという人気モデルであることを知る。にな川はオリチャンにまつわる情報を収集する熱狂的なオリチャンファンであった。

物語の冒頭部分を読んだだけで、読者は期待を裏切らない作品であることを予感するだろう。特に最初の7行がすばらしい。ぜひ声に出して読んでいただきたい。この作家に生来的に備わったシーン接続の巧みさや、魅力的な登場人物の設定に注目させられる作品でもある。高校1年生の女の子の、連帯とも友情とも好意ともつかない感情を、気になる男子の「もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい」思いへと集約させていく感情と行動の描写も見事だ。現在19歳の作者でなければ書くことができない独自の世界が表現されている。 (榎本正樹)

出版社/著者からの内容紹介
高校に入ったばかりの蜷川とハツはクラスの余り者同士。やがてハツは、あるアイドルに夢中の蜷川の存在が気になってゆく…いびつな友情? それとも臆病な恋!? 不器用さゆえに孤独な二人の関係を描く、待望の文藝賞受賞第一作。第130回芥川賞受賞。




第130回芥川賞受賞作、金原ひとみ『蛇にピアス』と、綿矢りさ『蹴りたい背中』を読んだ。両方ともおおまかな印象は同じ。石原慎太郎の選評にあるように、「それにしてもこの現代における青春とは、なんと閉塞的なものなのだろうか」ということが、私が最も感じたことだろうか。

リアルタイムの青春を書くのと、大人になって青春を振り返って書くのとでは、雰囲気も何も全然違ってくるだろうが、読んでいて「若いなあ・・・」と思った。最年少の受賞ということが話題になっているけれども、若さゆえの新鮮さと同時に、若さゆえの気持ち悪さも感じる。

若さゆえの気持ち悪さってなんだろう?うまく言葉にできないのだが(これじゃ芥川賞は絶対無理だ)、昔と今とでは、気持ち悪さの質が違っている。上に書いたように、それは「閉塞感」かもしれない。そういう現代の若者を作ってしまった社会を憂慮しなければいけないんだろうが、現代の若者のこの「閉塞感」は、街を歩いていても感じる。現代の若者には、ピュアとか、イノセントとかいう言葉はあてはまらないのかもしれない。2作者とも、人間の「悪意」というものをしっかり知っている。そういう意味で、若いからといって、幼さは全く感じない。

しかし、どちらにしても暗い。こんなに若いのに、こんなに暗いのかと思うと、暗澹たる思いにとらわれる。個人的には、『蹴りたい背中』のほうが文章がきちんとしている分、いいのかなとも思うが、『蛇にピアス』のような文章は馴染めない。今の若者の言葉で書かれているのだが、品がない。だから、現代の日本文学には興味がわかない。外国文学の翻訳のほうが、ちゃんとした日本語が使われているからだ。現代の日本文学の全てがそうだとは言わないが、これに関しては「芥川賞」という冠がなければ、絶対に読まない小説だ。

『蹴りたい背中』も、仲間はずれになっていく少女の孤独と、オタクな少年の話だが、じめじめしたもどかしさという感じ。やっぱり気持ちが悪い。これにしても、『蛇にピアス』にしても、外国文学にはない雰囲気だ。たとえ同じシチュエーションで書かれたとしても、全然違う雰囲気になると思う。

とはいえ、芥川賞というメジャーな賞を受賞しているのだから、これが日本文学だと言っても差し支えないんだろう。こういう賞は出版社の話題づくりであるとも思うが、そうは言っても天下の芥川賞だ。私はますます日本文学から遠ざかる。あるいは、漱石どまりかもしれない。

ちなみに『蛇にピアス』の金原ひとみは、金原瑞人氏(翻訳家・法政大学教授)の娘だとか。父親のほうは、児童文学(ヤング・アダルト)の翻訳が多いから、「あるところに王女様がいました」的な文章だが、娘のほうは伏字にしなきゃいけないような言葉がぽんぽん。女の子でも「やってらんねーよ!」みたいな言葉遣い。なんだかその父娘のギャップが奇妙。作者と作品の主人公を同一視するのは間違いだと思うが、写真を見ると、いかにもと思ってしまう。実際、けして普通の人生は送っていないようで、お父さんはずいぶん苦労したんだろうなと。(^^;


2004年02月25日(水)
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