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■ 愛している/アン・ビーティ
内容(「BOOK」データベースより) 緑あふれる季節をむかえたヴァーモント―1984年。ニューヨークで大人気のシックな雑誌『カントリー・デイズ』の本社はここにある。人生相談のコラムを連載中のルーシー・スペンサーもここに住み、編集長のヒルドンと愛人関係を続けながら、手紙の最後にいつも「愛している」と書いてきた別れた恋人のことを忘れかねている。この静かな田園を、ある日突然小さなハリケーンが襲った。ルーシーの姪でハリウッドの子役スターであるニコルが、休暇で訪ねてきたのだ。テレビのソープオペラ『情熱の輝き』で有名になった、むずかしい年頃の14歳である。夫の浮気に気づいたヒルドンの妻、ホモの記者、雑誌の内幕を取材にきた女性ライター、ニコルのエージェント、『情熱の輝き』のノヴェライゼーション作家などがいりみだれて始まった、なつかしい1984年の夏の行方は…。ユーモラスにエレガントに、アメリカの時と人々を封じ込めた代表的長篇。
私の苦手なアン・ビーティである。これまで短編集ばかり3冊読んだが、もしかしたら長編なら・・・と思ったのと、青山南先生が翻訳されているということで、手にとってみた。
「シチュエーションの作家」と言われているように、短編ではさまざまなシチュエーションが描かれており、その点では、こういう状況もあるのか・・・と感心させられた部分もあるが、長編でもそういったシチュエーションを重ねて描いているように思う。つまりシチュエーションを並べて見せて、あとは読み手が登場人物たちの気持ちを汲み取りなさいと言っているような気がする。そのあたりが苦手だと思う要因かもしれないと思った。映像は浮かぶが、こちらの気持ちをぐっと掴んで離さないといった部分が、私には見つからないということだろうか。
●訳者あとがきより
この作品を絶賛した小説家のアン・タイラーはうまいいいかたをしている。 「アン・ビーティは、またひとつ、アメリカのある部分の人類学的なレポートを、あばたもえくぼもろともに、まとめあげた。隅から隅まで楽しめる─あばたのところなんか、とくにたっぷりと」
私はここで納得した。私の2大苦手「アン」のアン・タイラーが絶賛し、しかも彼女の言う「あばたのところ」がたっぷりと描かれているとなれば、これはもう私にはどうしたってだめなのだ。
マーガレット・アトウッドは、アン・ビーティを評するのにジョーン・オースティンの名前を出しているが(「ジェーン・オースティンがオスカー・ワイルドと交配され、さらに初期のイーヴリン・ウォーと交配され、そうしてできあがった新生物が、20世紀末のメディアにすっかり囲まれたアメリカのちょっとビューティフルな人種のなかに放り込まれたら、きっとこういうものを書くだろう」─訳者あとがきより)、アン・ビーティからジェーン・オースティンの名が出るとは、全く思いもよらなかったことだ。
ところで内容には関係ないが(あるかも?)、青山先生はなぜ、「彼」を「かれ」とし、「思う」を「おもう」としたのだろう?「彼女」は漢字なのに、「彼」はどうして平仮名なのだろう?たしかに、「思う」は1秒もかからずにすっと読んでしまうが、「おもう」と平仮名になると、そこでブレーキがかかり、何を「おもった」のか?と再度確認してしまうような効果があった。しかし青山先生の真意は、果たしてどういうことだったのだろう?非常に気になる。
2004年01月22日(木)
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