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 マーティン・ピッグ(B+)/ケヴィン・ブルックス

カバーより
マーティン・ピッグ。それは僕の名前だ。「ブタ」となじられたことは数知れない。いまはもう慣れたけど、それはぼくの心に傷を残している。父は酔っ払いだ。母はどうに出て行った。どうしようもない家族。でもそれももう慣れた。幸せなんて遠い存在だ。でもアレックスがいる。隣に住む年上のアレックス。彼女はすてきだ。最高にいかしてる。

そんなぼくの日常の中で、事件は起きた。すべての責任を誰かや何かに押し付けるつもりはない。たくさんの不満があったとしても、偶然か、あるいは必然だったのかもしれない。事件にアレックスを巻き込んだのも、彼女のクソったれな恋人が首を突っ込んできたのも、自分でも信じがたい計画を思いついたのも。

クリスマスの一週間前、ぼくは父を殺した。これはその一部始終を綴った、いまはもうなきぼくの青春の記録。



ピッグというおかしな苗字でいじめられ、飲んだくれですぐ暴力を振るう父親に虐待されている少年。楽しみと言えばミステリを読むことと、近所に住む女の子アレックスとお喋りすることだけ。そんな主人公が誤って父親を殺してしまう。死体をどうやって始末しようかと悩むところから事態は思わぬ方向へ発展し、最後の鮮やかなどんでん返しまで、読者のみなさんはページをめくる手を止めることができなかったのではないでしょうか。
─訳者あとがき

あとがきにあるように、後半はたしかに途中でやめられなくなった。まさか!と思う展開になったからだ。しかし、最初は宣伝文句の「ライ麦畑以来の傑作」という先入観に囚われて、「ライ麦畑」みたいな小説なのか・・・と思って、疑り深く、慎重に読んでいた為、全然入り込めなかった。そういう宣伝をする出版社の罪である。

でもそのうち、これは「ライ麦畑」なんかと全然違うぞ!と思ったら、俄然面白くなってきて、一気に読めた。結論は、面白かったということ。余計な宣伝文句は迷惑なだけだ。

実際サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(または『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)とは雰囲気も何も全然違う。どちらがいいとか悪いとかは言わないが、無理矢理比べるなら、私はこちらのほうが好き。青春小説といえば「ライ麦畑」というのは、いい加減うんざりだ。ファンタジーといえば、「ハリー・ポッター」を引き合いに出すのも同様。

作者のケヴィン・ブルックスはサリンジャーが好きらしいが、それよりも、やはりコナン・ドイルやレイモンド・チャンドラー、コリン・デクスターなどの影響のほうが大きいように思う。これは青春小説でもあるが、ミステリの要素もあり、その部分が面白いからだ。

というわけで、詳細に書いてしまうと、ミステリの面白さがなくなってしまうので書けないのだが、くどいようだが、サリンジャーの「ライ麦畑」とは似ても似つかない、面白い本だったということだけは強調したい。

主人公は悪い子ではないし、悪ぶっているわけでもない。その普通の子(家庭は普通じゃないのだが)に突然ふってわいたような事件を、ミステリ好きの15歳の少年が、あれやこれやと考えていくところが面白い。シェークスピアを「あご髭を生やし、大きな白い襟をつけた禿の男」と言い捨てるところなんて、なるほど現代の15歳の子には、いかに偉大な文豪でも、ただの禿げたおじさんか、と思うとめちゃくちゃおかしかった。

この主人公は、青春ものによくある、世の中に認められず(と勝手に思い込んでいる)、生きがいもなく、何をしていいかもわからない、ただドラッグとセックスと暴力にのめりこんでいるような少年とはまったく違う主人公で、それなりに前向きな子であるというのが、個人的には非常に気にいった。自分から悪い事をしようという子でもない。家庭は悲惨だが、自分の居場所があるというのはいいことだとも思っている素直ないい子なのだ。ただ、ミステリが好きだったがために・・・その事件が起こった原因と結果を結びつける思考がまたユーモラスで、人が死んだり、殺されたりしているにも関わらず、なぜかおかしい。

結末でも事件は何も解決していないのだが、この子ならなんとか立派に生きていけるだろうと希望が持てるような主人公だ。そういった点では、カール・ハイアセンの感覚にも似ているところがあるかもしれない。

2004年01月07日(水)
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