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■ Lord of the Rings (Complete)/J. R. R. Tolkien
「これはもともとはビルボ個人の日記であってかれはこれを裂け谷に持って行った。それをまたフロドが、いろいろ覚え書きを記した多くの文書類と共にホビット庄に持ちかえった。そしてホビット紀元1420、21年にかけて、フロドが自分の戦争の記述で日記のページをほとんど埋めた。しかしこれに付属して3冊の大部の記録が、ともに保存された。これは赤革で装丁され、おそらく同一の赤いケースにおさめられていたものであろう。」(ホビット庄における覚え書きより)
まさに、これ。指輪ファンなら、ぜひこの「赤表紙本」を手元に置いておきたい!読むときのわくわく感も、ひとしお!
・・・と、この本を入手してから間もなく読み始めて、何ヶ月?(^^; 途中で中断しても、話はわかっているので、少しずつでも読み進めてこれた。内容は同じでも、この「赤表紙本」を読む気分は最高。
● The Fellowship of the Ring
『指輪物語』に関しては、最も好きな物語だし、トールキンは大尊敬している作家なので、文句のつけようがない。おこがましくて何も書けないというのが正直なところ。それにしても、本編が始まる前のホビットについての解説には(ここが面倒で抜かす人もいるようだが)、よく考えて作ってあるなあと、いつも驚嘆するばかり。
個人的には、実はこの「旅の仲間」が一番重要な部分だと思っているので、じっくり読んでおきたいところ。指輪の仲間たちが、自発的に旅に加わるのでなければ意味がないし、それぞれがそれぞれの歴史や伝説を背負って、指輪を葬るという使命を遂行するわけなので、各登場人物の動機は、よくよく理解しておかねばならない。
ファンタジーではあるが、この中には尊い「自己犠牲」の観念が強く打ち出されており、すべてが自己犠牲の上に成り立っている。でなければ、なぜ好き好んで危険な旅に出なければならないのか、考えればバカらしくなってくるだろう。しかし、この「自己犠牲」は時代を問わず、現在でもいつの世でも重要な核なのである。
指輪の仲間9人がようやくエルロンドのいるエルフの裂け谷を出発する。その前に、指輪の辿ってきた歴史が滔々と語られる。実はこの部分がないと、どうして指輪ごときに命をかけて旅をしなければならないのかというのがわからないので、なんだか歴史書でも読んでいるような気分になって、大部分の人が途中で投げ出してしまいそうな雰囲気に陥るのだが、とても重要な部分なのである。
「愛しいもの=指輪」と表現されていることでもわかるように、愛というのはある意味エゴイスティックである。だから世界を救うのは、「指輪の仲間=友情」なのだ。それを描いているのが第一部なので、全体として見ても、第一部の仲間が形成されるプロセスは非常に重要な部分だと思う。
ここにはアーサー王物語のようにキリスト教的な信仰の力などはなく、ただ自己犠牲と、真に結ばれた友情によって、偉業が成し遂げられていく発端を緻密に描いてある。トールキンはこの部分を強調したかったのではないかと改めて思う。
そして、指輪所持者フロドと旅の仲間がモリアの坑道に赴き、そこでガンダルフと分かれねばならなくなる。失意のうちにエルフの森ロスロリエンの殿ケレボルンとその奥方ガラドリエルに迎えられる。その後大河アンドゥインを下ってモルドールへ向かう仲間たちだが、ボロミアの欲望が表に出てしまい、途中で分裂してしまう。
指輪所持者は結局誰にも頼れず、自らが事を成し遂げなければならないのだ。しかしフロドに仕えるサム・ギャムジーの忠誠心は、けして揺るがなかった。この後、フロドとサムの道のりと、他の仲間たちの道のりに話が分かれていく。
とりあえず1部はここで終わるが、この終わり方は物足りないだろうか?映画もここで終わっている。後先考えると、やはりここで終わるしかないし、フロドの決心とサムの決心の強さゆえに、事が成し遂げられるのだという伏線にもなる。この物語が、けっして戦闘や冒険の面白さを書いたものではなく、人間の内面(ここではホビットだが)を描いた、大きな意味のあるものなのだということが、ここで強調されているのだと思う。
● The Two Towers
第一部で主人公のフロドとサム、アラゴルン、レゴラス、ギムリの3人、そしてオークにさらわれたメリーとピピンのグループに分かれた旅の仲間たち。第二部では、それぞれの行動が描かれる。ここでは、メリーとピピンを助けるエントの「木の髭」がいい味を出している。
そして何より嬉しいのは、灰色のガンダルフが白のガンダルフとして戻ってくることだ。やはりこの話に魔法使い、しかもいい魔法使いは欠かせない。ガンダルフのいない指輪物語など、考えられないくらいだ。この短期間の彼の不在でさえ、非常にショックなのだから。モリアで奈落に落ち、第二部でふたたび姿を現すことはわかっているのに、やっぱりショックなのだ。
このあと、アラゴルンたちはローハン(騎士国─リダーマーク)に行く。そこでは戦いとともに、ちょっとしたロマンスも・・・。
旅の仲間が分かれ、指輪保持者のフロドのほうではなく、オークに連れ去られたピピンとメリーのほうの話。というか、この部分はほとんどその追跡の話というべきか。
ここでの注目すべきところは、木の髭(エント)の活躍。中つ国で最も古い生き物で、年齢などは不明。木のような人間?人間のような木?ともあれ、そういう不思議な生き物が、旅の仲間を助けるという段。旅の仲間とエントたちが、アイゼンガルドに乗り込み、サルマンに打ち勝つというくだりなのだが、ここで勝ったと思ってはいけない。本当の戦いは、これからだ。アラゴルンが次第に王の威厳を現してきて、いよいよ王の帰還となる日も近い。
第二部の後半は、仲間と別れたフロドとサムが、ひたすらモルドールに向けて進んでいく。途中、元の指輪の持ち主ゴクリと出会い、その道案内で一向はモルドールの入り口に達する。前編に比べると、こちらは暗黒の影に近づいていく分暗い雰囲気が漂う。指輪所持者の苦悩もにじみ出ている。
フロドとサムがボロミアの弟ファラミアと出会い、しばしの休息ののち、再度モルドールを目指すが、そこで太古からの怪物シェロブ(蜘蛛の化け物。指輪には直接関与していない)に遭遇し、フロドが倒れる。一人で目的を遂行しなくてはならないと決心したサムが、目的地に向かって出かけようとするが、フロドは死んだわけではないことを知る。しかしフロドは敵の手中に落ちてしまった。
この巻は非常に暗い。全ての希望が打ち砕かれるような雰囲気だ。冥王に近づくにつれて、指輪は耐え難いほど重たくなるし、どこまで行っても道は果てしなく続くかのようだ。それに疑心暗鬼の中でやり取りされるゴクリとの取引は、果たしてどんな結末になるのかと思っていると、やっぱり罠であったというわけだ。この後の三部で、ついに目的がはたされるのかどうかが明らかにされるのだが、なぜゴクリが重要であったのかもわかる。読むたびに思うのだが、この巻がいちばん暗いが、唯一救われるのは、ファラミアの高潔さといったところだろうか。
● Return of the King
「二つの塔」はフロドとサムの話で終わっているが、「王の帰還」はガンダルフとピピンがデネソール(ボロミアの父)を訪ねるところから始まる。
5度この物語を読んで、今更ながらに気づいたのは、間に「二つの塔」の戦いを挟みながらも、あのボロミアの死からたったの13日しかたっていないことだ。そんなものだったのか?その間にすごいことをやっているなという感じ。となれば、これだけの大長編なのに、ホビット庄を出発してから灰色港に行くまで、日数にしたら、たいした年月ではなかったのだろうか?と改めて驚く。
そして、ここからはさらに皆ばらばらになって行く。フロドとサムはもちろんのこと、ピピンとガンダルフはボロミアの故郷ゴンドールに赴き、デネソール侯の元へ。メリーはセオデン王の傍らにつき、馬鍬砦へ。そしてアラソルンの息子アラゴルンは、レゴラスとギムリ、ドゥナダンのハルバラド率いる北の国の野伏たち、エルロンドの息子エルロヒア、エルラダンを伴って、誰もが恐れる死者の道へ。
そしてこの頃、闇の勢力は力を増し、とうとう夜明けも訪れなくなった。 この死者の道、怖いです。屈強なギムリさえも尻ごみする暗闇を進む一行。うしろを振り向いたレゴラスが、「死者たちがついて来る」とつぶやく。怖い!
しかし、いかにも王の世継ぎらしいアラゴルンのりりしい態度に、何度も何度も読み返してしまう私。古めかしい物言いも、むしろ現代の言葉使いよりも、さらに威厳が増していると思えるほど。実は私はこの3部が一番好き。アラゴルンが最もアラゴルンらしいからだ。
[ゴンドールの包囲] この章のゴンドールとモルドールの合戦は、息継ぐ暇もないほど、緊迫した描写で、結果はわかっていても、どきどき、はらはらする部分。トールキンもここは一気に書き上げたのだろうと推測する。
ボロミアの父デネソールが、ファラミア(ボロミア弟)に、「お前が行けばよかったのだ」などと非情なことを言い、そのまま戦いに赴かせた結果、ファラミアは瀕死の重症で帰ってきた。自分の言動を悔いるデネソール。この父と子のやり取りにまた胸が熱くなる。
ここでの合戦にはアラゴルンもレゴラスもギムリもいないので、活躍するのは、ガンダルフだ。皆が恐怖に怯えるナズグルどもを追い払い、魔法使いの魔法使いたる堂々とした働きぶりは、やはりイアン・マッケラン(映画)では役不足だろう。
[飛蔭 : Shadowfax] この巻の影の主役は、ガンダルフがローハン王から拝領した馬、飛蔭といってもいいかもしれない。堂々とした体躯、驚異的な俊足、そして、他の馬が怖じ気づいて尻ごみをする中で、飛蔭だけは恐れも見せずに敵に対峙する。ここにガンダルフがまたがれば、怖いものなし!という感じ。素晴らしい馬です。なるべくイアン・マッケランの顔を思い浮かべずに、もともと自分の描いていたガンダルフを思い浮かべようとするのだが、うまくいかない。イメージを固定させてしまう映像というものの悪影響だ。また映画の中の飛蔭は、ただの白い馬で、原作に描かれている馬には程遠い。これもがっかり。
[セオデン王とデネソールの死] ゴンドールの執政デネソールは、敵の襲撃にもはやこれまでと、重症のファラミアと共に聖なる墓所に入り、自らの身を焼こうとする。セオデン王率いるローハンの到着で、一気に合戦も熾烈が極まるが、敵の前に倒れ名誉のうちに命を落とすセオデン王。そして若い騎士に扮装したエオウィン姫もまたナズグルを倒して自らも倒れてしまった。傍らに控えていたメリーも、同じくナズグルのために倒れる。
そしてとうとう死者の道を来たアラゴルンたち一行がハルロンドの船着場に、アルウェンの手で作られたエレンディルの旗じるしを掲げて到着。彼等の活躍で、とりあえず勝利をおさめるが、もはやデネソールの狂気は元には戻らず、火の中に身を横たえ、命を断ってしまった。危機一発でガンダルフに救われたファラミア。彼はデネソールの不幸を知らぬ間に、ゴンドールの執政となった。
そして、ファラミア、エオウィン、メリーは「王の癒しの手」によって、一命をとりとめる。だが、再び戦いが始まる。無数の敵に囲まれたアラゴルンたちの前に現れたのは、かの鷲の王、風早彦グワイヒアであった。
[王の帰還] この巻はやはり個人的に一番好きかもしれない。セオデン王の死の場面は、何度読んでも涙が出る。そして、勇ましいエオウィン。彼女のその胸のうちにあるものを考えると、切なくて仕方がない。また小さいホビットたちの勇敢さにも感動する。
しかし、エレンディルの旗じるしのなんと高貴で力強いことか!アラゴルンの意志の強さにはただ感服するしかない。そしてデネソールの無念な死。このストーリーもわかっているのだが、ここで死ぬことはないのに、と毎回残念でならない。あれだけ非情であった父親であったのに、最後にはファラミアを愛していることに気づき、悔恨の念にかられるデネソールの気持ちにも涙。
ともあれ、合戦の場面はこの巻がクライマックス。全ての人が勇敢に中つ国のために力を合わせて敵に立ち向かう。だが、それにはガンダルフの策略があったのだ。かの冥王の目を指輪保持者に向けてはならない。そのために、数は少なくとも、できるだけ派手に戦いをしてみせる必要があったのだ。そして絶体絶命の時に飛来したグワイヒア。いつもいい時に現れる、あの鷲の王に拍手!
ゴンドールに鷲の王が来たところで、話は指輪保持者フロドとサムのほうに移る。オークに捕らえられたフロドを救うべく、サムが孤軍奮闘。命からがらなんとか逃げ出し、再び滅びの山オロドルインに向かうが、フロドの指輪の重荷は日ごとに増して行く。水も食料もほとんどなく、力も尽き果てようかとしたその時、ようやく滅びの山の火口に着く。ここで指輪を火口に投げ入れれば、彼等の使命は果たされ、暗黒の力は滅びるのだ。
だが、またもそこに現れたゴクリ。ゴクリもまた疲れ果て、哀れな状態であるにも関わらず、ただ指輪の魔力に惹かれて二人の後を追ってきたのだ。だが、フロドもまた魔力に取りつかれてしまっていた。最後の力をふり絞って格闘するフロドとゴクリ。このとき、かの目が指輪に気がつき、おのれの敗北をさとり、暗黒の思念が揺らぎ始めた。オロドルインに急行するナズグル。しかしガンダルフの言った「ゴクリでさえも役に立つことがある」という言葉が、ここで現実のものとなる。
かくて指輪保持者の使命は果たされた。それは、おりしもモルドールで戦いの火蓋が切って落とされようとするところであった。しかしオロドルインの噴火で、フロドとサムの帰りの道は断たれてしまった。進退極まって、倒れ込む二人。まさにこのとき、ガンダルフとともに、再び風早彦グワイヒアがやってきた。暗黒の思念がぐらついたことに気が着いたガンダルフが、指輪保持者が目的を達したことを察し、すばやく二人のもとにグワイヒアを送ったのだ。助けだされた二人を待っていたのは、王となったアラゴルンであった。彼は「癒しの手」で二人を手当てし、回復を待っていた。ゴンドールの王の戴冠式を行うために。
かくて戻るべくして戻ったゴンドールの王は、時の熟すのを待ち、夏至の日に、エルフの宵の明星アルウェン姫と結婚し、主だった人たちは、それぞれの道に戻って行った。セオデン王の遺骸は、セオデンの代わりにローハンの王となったエオメルの手によってローハンに戻され、そこでエオウィンとファラミアの婚約がなされた。
だが一方で、人間と結婚したことで、愛する父や兄たちと別れねばならないアルウェンの苦悩も忘れることはできない。エルロンドたちエルフ族は、中つ国を出、海へと出帆することになっているからだ。
[旅の帰途] アラゴルンと別れ、ガラドリエルとも別れ、ガンダルフとホビットの一行は、裂け谷に到着し、エルロンドのところにしばらく滞在する。そこで懐かしいビルボに会い、しばらく楽しい夏を過ごすが、秋になり、いよいよホビット庄に帰る時がきたのを知る。ブリー村まで一緒に行くというガンダルフを伴って、故郷に帰る道すがら、フロドのけして癒えることのない傷が痛む。
ここまで来ると、中つ国の第3紀の終わりによって、エルフたちがこの地を去るであろうことが徐々に明らかになってくる。明記はされていないが、彼等は海を渡って、遠くに行ってしまうのだろうということがほのめかされている。この行く先は、アーサー王物語でのアヴァロンと同じ目的の地である。 そしていよいよブリー村に到着。出発してからすでに1年以上が経っていた。
[サルマン] ブリー村(旧版の翻訳では粥村)に到着したフロドたちを待ちうけていたのは、無法者により荒れ果てた村の姿。フロドの親戚であるロソが親方となって、何もかもが規則で縛られていた。しかし、その裏には、フロドたちをあざ笑うかのように、落ちぶれたサルマンと蛇の舌がいたのだった。
けれども今や歴戦の勇士となったメリーとピピン、それにサムも黙ってはおらず、ホビット庄の歴史において2度目の戦いとなる合戦を繰り広げ、無法者を退治し、サルマンも追い払う。が、サルマンは蛇の舌に、蛇の舌はホビット庄のものに射殺され、ここにすべてが終わる。
[灰色港] こうしてホビット庄は再建され、サムはローズと結婚して袋小路でフロドと一緒に暮らし、再び平和な日々が戻ってきたが、フロドの傷はけして癒えず、時折発作に襲われるのだった。
そしてしばらくたった秋のある日、フロドは旅に出ることを告げる。一緒に出かけたサムは、海へと出帆するエルロンドやガラドリエルなどのエルフ達、ガンダルフ、そしてビルボとフロドを灰色港から見送る。エルロンドの指には「青い石のヴィルヤ」、ガラドリエルには「白い石のネンヤ」、ガンダルフの指には「赤い石のナルヤ」がはめられていた。こうして中つ国の第三期は、指輪とその所持者と共に終焉を迎えたのである。
[サム・ギャムジー] この最後の巻では、サム・ギャムジーの存在が大きい。サムがいなかったら、フロドは到底目的を達することができなかっただろう。サムの献身的な主人への愛情は感動的だ。物語の最後は、サムが家に帰ったところで終わる。いかにも幸せで平和な絵だ。こういったことからも、この「指輪物語」の主人公はフロドだが、ここにおいては、サムが主人公と言っても差し支えないだろうと思う。
[アラゴルンとアルウェン] また本では、アラゴルンとアルウェンの関係は婚姻の時まで明かされていないのだが、映画では1作目からすでに明かされており、これが二人の関係を安っぽくしてしまっている。最後の最後まで待ちつづけ、耐えてきた二人の関係、永遠の命を捨ててまで、アラゴルンと一緒になろうというアルウェンの決心は、けして生やさしいものではないのだ。二人の関係は、最後まで明かされないことによって、崇高なものになる。
[トールキンのことわりがき] 最後に、トールキンはこう言っている。「この物語には隠された意味とか「メッセージ」とかが含まれているのではないかという意見に対しては、作者の意図としては何もないと申し上げよう」。読者はただ楽しめばいいのだ。
「すべての読者の中でもっとも批判的な読者ともいえるわたし自身は、すでに大なり小なり多くの欠点を見いだしている。しかし幸運にも、この本を批判する立場にもなければ、書き直す義務もないので、ただ一点を除いては黙してこれを看過することにする。その一点とは、他の人にもいわれてきたことだが、この本が短かすぎるということである」
今回初めて、『指輪物語』の感想をひとつにまとめてみたが、本当に壮大で偉大な物語であることを再認識する。「一番好きな物語」として、堂々と胸を張って言える作品だ。いまだ、これを超えるファンタジーはないと言い切ってもいいだろう。神話学者としてのトールキンの学問の集大成とも言えるこの物語は、膨大な知識をもとにした、深い、深い物語なのだ。ここからさらに、さまざまな神話や伝説の世界へと、道は繋がっている。
2003年12月27日(土)
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