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 スケッチ・ブック/ワシントン・アーヴィング

<詳細>
森で出会った妙な風体の連中の宴で酒に酔って眠り、目覚めると20年後をむかえていた男の奇妙な物語「リップ・ヴァン・ウィンクル」、首なし騎士の亡霊が現われるという伝説のつたわる谷間で、ある教師の身にふりかかった世にも不思議な事件を描く、幽霊談の古典「スリーピー・ホロウの伝説」など、各国の民話、風俗、習慣を題材にした、ロマンティシズム色濃い13編を集めた必読の名作。クリスマスの話も2編含む。


<目次>
「わたくし自身について」「船旅」「妻」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「傷心」「寡婦とその子」「幽霊花婿」「ウェストミンスタ−寺院」「クリスマス」「駅馬車」「クリスマス・イーヴ」「ジョン・ブル」「スリーピー・ホロウの伝説」


●『リップ・ヴァン・ウィンクル』

舞台はハドソン川中流に近いキャッツキル山地(ニューヨーク州東部)。主人公リップ・ヴァン・ウィンクルは気のいい男で、いつも口やかましい妻の尻の下に敷かれていた。ある日、いつものように猟銃をかついで森に出かけ、いざ帰ろうとすると、どこからか自分の名前を呼ぶ声がする。見るとオランダ風の身なりをした老人だった。

酒樽を運ぶのを手伝うと、同じような服装の一団がいる山あいの窪地に案内された。老人とその仲間たちが酒を飲みながらナイン・ピン(屋外ボウリング)をするのを見物しながら、自分も盗み酒をしているうちに、酔っ払って眠ってしまう。目覚めてみると、自慢の銃は錆だらけ。妻の機嫌を心配して村に戻ってみると、辺りの様子はすっかり変わっている。娘に再会してやっと、一晩で20年が過ぎ、妻はすでに亡くなり、アメリカが独立を果たしたことを知る。徐々に新しい生活に慣れた彼は、旅人相手に昔語りをしながら陽気な余生を送った。


●『スリーピー・ホロウの伝説』

ドイツ民話を下敷きに、舞台をハドソン川流域の実り豊かな寒村に置き換えた短編。独立戦争後の急激に変化しつづけるアメリカ社会から隔絶され、時間が止まったようなのどかな土地柄が「スリーピー・ホロウ(眠たい窪地)」という知名に反映されている。

土地一番の豪農の娘、カトリーナと彼女が相続する財産をめぐるイカボッド・クレインとブロム・ボーンズの恋の鞘当が、自分の首を探しに夜な夜な墓から出て馬で村を駈け抜けるという首なしの騎士の伝説をからめて、喜劇的に語られる。

コネティカットから流れてきた教師のクレイン(鶴)は口八丁手八丁のお調子者で、ひょろ長い手足をした打算家。ボーンズ(筋骨)は地元の腕自慢の大男で馬術の達人。カトリーナを獲得するのが、機転を利かせて伝説の騎士に扮したボーンズで、怯えたクレインが逃げ出す結末には作者の反時代的な感受性がうかがえる。クレインは後に「ヤンキー像」の一典型となる。


<プロフィール>

Washinton Irving (1783-1859)

アメリカの随筆家、小説家。ニューヨーク市生まれ。二十歳の頃に見初めた女性が結核で急逝し、生涯独身を通した。当時のアメリカ文化の過渡期的な状況をよくあらわした作家で、旧大陸文化・文学の強い影響を受け新古典主義的な教養を帯びながら時代の新しい気運にも同調しロマン派の先駆け的な作風も見せる。代表作『スケッチ・ブック』は大西洋両岸で評価された。


<ペンネーム>

アメリカ独立確定の年に生まれた彼は独立革命の英雄、合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンにちなんでワシントン・アーヴィングと名づけられた。「アメリカ文学の父」と呼ばれる彼だが、実際の執筆・創作に当たっては、兄達と創刊した「サルマガンディ」(「寄せ鍋」の意味)に記事を寄せていたころからペンネームを有効に使っている。最初は「ジョナサン・オールドスタイル」(「旧式」の意味)、当時のお堅いガイドブックのパロディーとして書かれた『ニッカーボッカーのニューヨーク史』(1809)の時は「ディートリッヒ・ニッカーボッカー(オランダ風ズボン)」、代表作『スケッチ・ブック』(1819-20)では「ジェフリー・クレイヨン(画材クレヨン)」という具合だ。


<ユーモアと計算>

「リップ・ヴァン・ウィンクル」や「スリーピー・ホロウの伝説」がドイツ民話を下敷きにした焼き直しの物語(トワイス・トールド・テイル)であるという点から、作家としての独創性はあまり発揮されないのだから、アーヴィングが物語の語り方や語り手の存在にきわめて意識的であったことは注目すべきであろう。ファンタスティックな物語をまことしやかに語ったり、合理的な説明を幻想のヴェールで惑乱したり、ペルソナをあやつるアーヴィングは巧みに幻惑と覚醒のバランスを計っている。アーヴィングの読者は物語を半信半疑で読みながら、語り手に騙られるのを楽しむ。語り口・語り手の洗練や熟練が重要なポイントになるのだから、語られる中身だけをとりあげ、語り手とアーヴィングとを混同する読み方はあまりにも単純というべきであろう。


<伝記作家として>

彼の後半生は伝記作家として記憶される。スペインでの長期滞在をきっかけとした『コロンブス伝』(1828)の執筆は、パロディー作家「ニッカーボッカー」風を自ら禁じたストイックなもので、事実なかなかに堅実な仕事ぶりだった(本人は「ニッカーボッカー」色が定着するのを恐れ、新たな境地の開拓のつもりだったが、出版社が作家の注意にもかかわらず『ニッカーボッカーのコロンブス伝』と謳って世間を勘違いさせることになった)。アメリカに戻ってからは、毛皮商で成功したアスター家の歴史を扱った『アストリア』(1836)を書き、晩年の十年は、死の半年前までをかけて全五巻の大作『ワシントン伝』(1855-59)を完成させた。語り口の巧みさが発揮されているだけでなく、伝記としての信頼性もその道の権威から再評価されている。伝記作家としてのアーヴィングは「ニッカーボッカー」も「クレイヨン」も冠す必要のないワシントン・アーヴィングその人であった。



ワシントン・アーヴィングのプロフィールを知っているのと知らないのとでは、本書の読み方はかなり違ってくるだろうと思う。プロフィールを知らないと、まず「ニッカーボッカー」という名前は何だろう?と思うだろう。著名な2作(「リップ・ヴァン・ウィンクル」と「スリーピー・ホローの伝説」)の内容は上記のようなものだが、他の作品は物語というより、アーヴィングのエッセイに近いものでもあるかもしれない。個人的には「妻」という作品が気に入っており、時代が時代だけに、ちょっと偏った考えかもしれないが、「夫婦の基本形」がそこにはある。

上記の説明には「語り手とアーヴィングとを混同する読み方はあまりにも単純というべきであろう」とあるから、アーヴィングのエッセイと捉えるのは間違いなのだろうが、なるほどと納得させられる話である。

2003年12月26日(金)
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