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■ ブリージング・レッスン/アン・タイラー
内容(「BOOK」データベースより) 周りの人の幸せを願うあまり、ついお節介をやいては話をややこしくしてしまうマギー。結婚28年目を迎える夫アイラと、ある日友人の葬式のため車で出かけていく。普通の人々のなんでもない日常を描いているのに、読みはじめるとわくわく、しみじみおかしくて少しほろ苦い珠玉の一作。ピュリツァー賞受賞作。
まだ冒頭100ページ程度しか進んでいないのだが、この主人公はちょっとどうなの?という感じ。普通の主婦が、誰もが感じているであろう愚痴がずらずら並んでいて、言いたいことはよーくわかるんだけど・・・、でもこういうのを文章で読みたくないなあ。カッコ悪い。実際の人生なんて皆カッコ悪いものだけど、リアリティがありすぎて、なんだか嫌な気分になってくる。
「普通の人々のなんでもない日常を描いているのに、しみじみおかしくて少しほろ苦い」というのは、エリザベス・ギャスケルの『女だけの町』のような作品に対してなら納得できるのだけど、たぶん、アン・タイラーがユーモアだと思っている感覚と、私の感覚が合わないのだと思う。個人的に主人公がとりちらかしているタイプである小説は、あまり好きではないかも。語り手は淡々としていたほうが好き。最後まで読んでみなければわからないけれど、今のところでは、この奥さんでは、ご主人も気の毒といった感じ。
さて、やっと読了した。 主人公のマギーは、私が感じる限りでは、ドジで人に迷惑ばかりかけている。かわいいドジというのもあるけれど、マギーの場合は、皆が嫌になってしまうドジ。それも、自分勝手な思い込みが激しすぎて、その自分の思いを人に押し付けるので、周囲がとても迷惑する。それにうんざりしている夫のアイラの気持ちがよくわかる。マギーだって、けして悪意でそうしているわけではないのだが、こういう女の人ってよくいるなあ、絶対付き合いたくないタイプだなあと思う。
彼女を中心にした話は、自分の母親や姑、友人の愚痴など、日常うんざりするほど聞かされている類のもので、読書という行為には、自分の体験したことのないことを経験したいという気持ちや、せめて本の中でくらいは夢を見たいという気持ちが含まれているから、こうした日常の愚痴話や、ドジってまわりに迷惑をかけてしまう(本人は迷惑をかけていると思っていないのがまた困る)という話は、なんとも気持ちの暗くなる、うっとうしい話だ。これでピューリッツァ賞を受賞したなんて、信じられない。
こんなマギーに共感する人もたくさんいるんだろうと思う。人生はカッコのいいことばかりじゃないからだ。でも、私はどうもダメ。こ難しい話がいいというわけじゃないが、愚痴話なんて、ほんと聞きたくない。どうしても聞かなきゃいけない場合もあるが、それは現実の世界だけでたくさんだ。
解説にはユーモアとペーソスとあるのだが、ユーモアもまったく感じられなかったし、ペーソスだって、マギーの勝手な被害妄想じゃないのか?としか思えなかった。
2003年12月16日(火)
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