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 ドリアン・グレイの肖像/オスカー・ワイルド

舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享受するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現れ、いつしか醜い姿に変わり果て、耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す・・・。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽。
─カバーより


美青年ドリアン・グレイが、友人の画家(バジル・ホールウォード)によって描かれた肖像とともに、徐々に破滅していくさまを描く。内容としては面白かったが、冒頭から繰り広げられる芸術論には閉口。巻末の解説によれば、こうした芸術論や、ドリアンの友人ヘンリー卿の理屈などは、読み飛ばしても差し支えないし、特に卿の言葉は、そのまま鵜のみにしないほうがよいとのことなので、気が楽にはなったものの、この芸術論などがなければ、もっとすっきりした、面白い作品になっただろうにと思う。しかしそれではただのホラーか?とはいえ、言っていることは一緒なのだから、読み飛ばして差し支えないという解説者の言葉は正解だと思う。

さて、肝心の肖像とドリアンの関係だが、「いつまでも若く美しいままでいたい、いっそ肖像のほうが老いればいいのだ」と願ったために、本当にそうなってしまった。しかも心や行動の悪の部分もみな肖像に現れ、実物のドリアンはいつまでたっても純粋無垢な美しい青年であったわけだが、何年もたっているというのに、なぜ周囲はその異常なことに気づかないでいるのだろう?と不思議。ただ、ドリアンと親しくすると、必ず不幸になるという噂があって(事実友人たちは皆不幸な目にあっている)、誰も寄りつかなくなってはいるのだが。

つまり実物は、ほれぼれするような美青年であるが、彼の本質は肖像に現れたようなおぞましく醜いものであったというわけだ。ドリアンは、その秘密を知った友人の画家を殺してしまうのだが、もとはと言えば、ヘンリー卿に借りて読んだ怪しい本に影響されて、彼の精神は破滅に向かっていったのだ。しかし、自分が老いて行く姿、内面の醜さを、外側からあからさまに見たら一体どんな気持ちがするだろう?鏡でみるのとはだいぶ違うだろうし、ドリアンの場合は、自らはまだ美しいままなのだから、もし肖像がなかったら、自分はこんなふうになっていたのかと思うと、その恐怖は計り知れないものがあるだろう。

この小説に登場するドリアン、ヘンリー卿、それと肖像を描いた画家は、みなホモセクシュアルだと思う。解説にもそういったことが言及されていたが、あからさまにそれを思わせる表現があるわけではない。ものすごく控えめに、「美」というものを通して、そういった愛情を表現しているだけだ。しかし、そこには疑いようもなく、ホモセクシュアルの世界が繰り広げられている。それだからこそ、画家はドリアンの魂までも描くことができ、命を吹き込むことができたのだろう。

しかし個人的には美青年ものにはあまり興味がないので、絵が刻一刻と醜悪に変化していくのだけは恐ろしいが、他はとりたてて印象には残らない。こういうのを耽美的というんだろうなと思いながらも、でも三島由紀夫の作品のほうがもっと耽美的だと思ったりもした。


2003年10月04日(土)
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