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 めぐりあう時間たち─三人のダロウェイ夫人/マイケル・カニンガム

人生は謎。
時を超えてめぐりあう三人のダロウェイ夫人。
六月のある美しい朝。三人の女の特別の一日が始まる・・・

●ヴァージニア
ロンドン郊外。1923年。
文学史上の傑作『ダロウェイ夫人』を書き始めようとする・・・

●ローラ
ロサンジェルス。1949年。
『ダロウェイ夫人』を愛読する主婦。夫の誕生パーティを計画し、息子とケーキを作り始める・・・

●クラリッサ
ニューヨーク。20世紀の終わり。
『ダロウェイ夫人』と同じ名ゆえに元恋人リチャードにミセス・ダロウェイと呼ばれる編集者。文学賞を取った彼のためにパーティを開こうと、花を買いに行く・・・

異なる時代を生きる三人の「時間」はいつしか運命的に絡み合い、奔流のように予想もつかぬ結末へ・・・。

─カバーより


そもそもヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』がダメなので、すぐに拒否反応が起こってしまったが、ウルフの『ダロウェイ夫人』よりは受け入れやすかった。ただ、個人的にあの文体がダメなんだろう。

「彼女は足を踏み出す。靴は脱がない。水が冷たい。しかし耐えられないほどではない。立ち止まる。冷たい水が膝まで。レナードのことが思い出される。彼の手、彼の髭、・・・」

といった細切れな、それこそト書きのような文体。訳者あとがきに、『ダロウェイ夫人』に文体を合わせたとあったが、その必要はあったのだろうか?普通の文体であったなら、私も違和感なく溶け込めただろうと思うが、原文がそうなんだったら仕方がない。実はこれを読むまで、まさにその文体のことが心配だった。読んで、やっぱりそうか・・・と。

三人の中ではローラが一番親近感があったが、ケーキを失敗したくらいで、こ難しいことを言うなよー!って感じで、普通に主婦していて、いちいちこの人みたいに考えていたら、たしかに気が狂うわねと思ってしまう。

ローラが、図書館では人が多すぎるからと、本を読むためだけにホテルの部屋を取ったというのは贅沢でいいなあ・・・と。たしかに、家事なんかにわずらわされずに本が読みたいという気持ちには共感するが、なんだか小難しいことばかり考えていて、家族に対して素直な愛情とかが感じられないのが、どうも好きになれない。ホテルの件も、そこまでするほど家族がうっとうしいのか?夫や子供が気の毒だなと思ってしまった。たしかにそういう場合もあるだろうことは非常に理解できるが。

気になったのは、「少なくとも、と彼女は思う、わたしはミステリーやロマンスは読まない。少なくとも、自分の精神の向上を続けている。いま読んでいるのはヴァージニア・ウルフ」というところ。いや、もっと気を楽にして、ロマンスとか読んだらどう?と言いたくなった。(苦笑

もっと文学的な感想を書くべきなんだろうけれど(ウルフの『ダロウェイ夫人』との文学的な関わりとか)、物語として、ここに描かれている三人の女性の誰にも共感を得なかったし、カニンガムの作風はもっと違うものと思っていたので、とりあえず第一印象としては、がっかりだったとしか言えない。

「これは『ダロウェイ夫人』の模倣ではなく、オマージュであり、きわめて文芸的な作品である」などと言われても、そもそも『ダロウェイ夫人』がダメなのだから、そう言われても何とも・・・。世の評価はどうでも、個人的には面白い話とは思えなかった。作品ということでは、前衛的で面白い試みであると言えるのだろうが。。。批評家は、ストーリーの面白さではなく、そういう部分を評価するのだろう。そういう意味では、カニンガムはよく考え抜いて書いていると認めるけれど。

それでも、ヴァージニア・ウルフとローラの部分は、ウルフの『ダロウェイ夫人』に比べれば、はるかに理解しやすかったが、現代のミセス・ダロウェイの部分は、そのまま『ダロウェイ夫人』に重なって、真似ではないと言っているけれど、たしかに真似ではない。むしろそのまんまじゃないのか?と思った。

本のカバーに「予想もつかぬ結末へ・・・」とあったので、そこでたぶん『ダロウェイ夫人』にはない、あっと驚くすごい結末があるんだろうと期待していたのだが、それも裏切られた。「三人の時間が運命的に絡み合い・・・」というのも、どこで絡み合ってました?という感じ。

ともあれ、「意識の流れ」というのは苦手。サマセット・モームが批判している「日常の一部分を切りとって、そのまま放り出したような」描写は、私はあまり好きではないので。凡人の私の日常生活でも、たしかに「意識の流れ」というものはある。例の文体が頭から離れず、いちいちあの文体で考えていたりする。これはこれでうっとうしい。こんなことを「意識」していたら、本当に発狂してもおかしくはないだろう。

そういえばクラリッサの部分は、ゲイであるカニンガムのおハコというか、ホモだけでなくレズの描写もある。ヴァージニアにもローラにもそれはあるのだけれど、クラリッサの場合はエイズという問題が絡んでくるので、どうもやり切れない感じがする。カニンガムらしいと言えば言えるが、この手法で「ゲイの意識の流れ」なんてのを書かれても辛いなあ。

2003年08月23日(土)
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