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 西瓜糖の日々/リチャード・ブローティガン

コミューン的な場所、アイデス<iDeath>と、<忘れられた世界>、そして私たちとおんなじ言葉を話すことができる虎たち。西瓜糖の甘くて残酷な世界が夢見る幸福とは何だろうか・・・。
澄明で静かな西瓜糖世界の人々の平和・愛・暴力・流血を描き、現代社会をあざやかに映して若者たちを熱狂させた詩的幻想小説。
─カバーより

<訳者あとがき>
本書はブローティガン3作目の小説で、かれはこれを1964年の5月に書き始め、7月にはもう書き終えていた。雲のようにうかんだイメージがあって、そのイメージを追いかけるようにしながら、この作品を書いたのではないだろうか。(中略)西瓜糖の村というひとつの大イメージに手をとられるようなかたちで、ひとつひとつの章を書いていったような感じがする。各々の章は、物語の進行の中でそれなりの位置をたもちながら、それぞれ完結した時間を持ってもいる。

西瓜糖。西瓜糖は甘いだろうが、けっしてそれは濃厚な過度な感じというのは不在だ。西瓜糖の村というのも、おそらくそういう場所なのだ。「過度な感じ」というのがなくて、屈折の少ない世界。透明で静かなのだ。原題は In Watermelon Sugar だが、これはきっと We lived in clover というような場合のイディオムが発想のはじめのところにあったことと思う。 We lived in clover というのは、牛がじゅうぶんにクローバーの葉を食べて暮すように、「われわれはなに不足なく暮した」という意味で、この in clover が in watermelon sugar になったのだろうと思う。




復刊が一部で話題になっていると思ったら、出版されるやAmazonではすぐに順位がうなぎ昇り。一時期1400位くらいにまでなったので、リチャード・ブローティガンて、そんなに人気があったのかと驚いた。もともと詩人なので、詩的な文章の苦手な私としては、あまり期待は抱いていなかったのだが、この前にジャネット・ウィンターソンの『さくらんぼの性は』を読んでいたせいか、こちらが非常に無垢な感じに思えた。暴力や流血のシーンもあり、けして穏やかな美しい小説ではないのだけど、「西瓜糖」という言葉のほんのり甘い感じが、すべての文章に影響を与えているようだ。訳者あとがきにもあるように、ひとつひとつの章が独立しているようでもあり、やはり詩的。すごく好きというわけではないが、悪くはないという感じだろうか。



2003年07月30日(水)
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