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 フォックスファイア/ジョイス・キャロル・オーツ

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ジョイス・キャロル・オーツの『Foxfire』の邦訳。

舞台は1950年代アメリカ・ニューヨーク州の小さな町。女子高校生が結成したフォックスファイアの活動の記録を、主要メンバーだったマディ・ワーツが回顧する。蛇行するような不均一な語りは、マディのフォックスファイアへの複雑な思いを表現しながら、同時に高校生のはつらつとした迷走ぶりをうまく再現している。

フォックスファイアの活動は、主に性的いやがらせをして女の子を食い物にする男たちに、目に物をみせてやることにある。町の大人たちは、ただのギャングだと思っているのだけれど、彼女たちは志高き正義の味方、とくに女の子の味方なのだ。

強烈なカリスマ性をもつリーダーのレッグズは平等主義者でフェミニスト。ときに資本主義を批判するなど多分に政治的。しかしメンバーたちはレッグズの思想を完全に共有するまでには至らない。たとえば、レッグズが友人とする黒人の女の子たちはメンバーの猛烈な反発にあって受け入れてはもらえなかった。

こうした青春の物語が、とくに政治運動のような体裁をとると、いかに高潔な志のもとに集まろうと、学生運動の苦い記憶に重ねられて、未熟な子供たちの暴走ということでまとめられてしまいがちだ。しかし、この物語の結末では、我らのレッグズのその後が、希望として確保されているところを最大限評価したい。

こんな痛快な小説を知らなかったなんて、これこそ女の子にとって、フェミニズム的大問題だ!(木村朗子)


訳者あとがきより
舞台はニューヨーク州北部の架空の小都市ハモンド。フランクリン・ライブラリー版に寄せられたオーツ自身の序文によると、ハモンドは実在するロックポート(人口25000)とバッファロー(人口30万強)とを合成した街だとのことだ。だが、位置も規模も(おそらくは雰囲気も)前者に近いだろうと察せられる。この小都市は1990年発表の長編小説、『Because It Is Better, and Because It Is Heart』の舞台にもなっている。幼いころのオーツが家族と住んでいた地域にも近く、彼女にとってはひときわ愛着のある土地なのだろう。

本書で、おもに描かれている時代は1950年代だ。地元のハイスクールに通う5人の少女が、レッグズという中性的な魅力を持つリーダーを中心に、フォックスファイアをいう名の集団を結成した。ただの仲良しグループではない。なにしろ肩に炎の刺青を彫り、出血が止まったところで互いの傷口と傷口とを擦り合わせる「血盟の儀式」をおこない、家族よりも強いきずなを誓い合った5人なのだ。

90年代初頭になって、オリジナルメンバーの一人であり自分たちの行動記録をまとめる係だったマディが、そのノートをもとに「告白」録を発表する。秘密集団だったけれど、もうあれからかなり時間が経っているんだからいいではないか、ここで過去を振り返ってみよう――『フォックスファイア』はそんな形式を採った作品だ。




Amazonの解説に、「フォックスファイアの活動は、主に性的いやがらせをして女の子を食い物にする男たちに、目に物をみせてやることにある」とあるが、これは間違っている。最初の目的はけしてそうではなかったはず。この年頃の自分のことを思い出せば、彼女たちのグループ結成の気持ちの高揚は、手に取るようにわかる。また「女の子」というのを必要以上に強調しているような気がするが、それもまた見当違いだと思う。たしかに主人公も活躍するメンバーも全部女の子には違いないが、それを軸にハモンドという町、そこに住む人々を描いているのだ。ひいては、50年代のアメリカをも描いている。オーツの視点は、単なる「女の子」に終わっているのではなく、もっと大きなものを見据えていると思う。

そしてフォックスファイアは、基本的には女の子の味方ではあるが、大きな意味でとらえれば、弱い者の味方である。最初は正義感に溢れていたはずが、最後は取り返しのつかない犯罪を犯すに至る。その過程が悲しい。彼女たちの活躍は痛快なのだが、その裏で、各自の苦悩も大きくなっていくのだ。

この子たちはどうなっていくのだろう?という興味で、後半どんどん読んでいったが、最後はさすが多作のオーツといった感じで、きれいにきっちりまとまった。終わり方に感動。



2003年05月20日(火)
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